職業柄、街道でよく見知らぬ人に呼び止められる。  脇に抱えた琵琶を見て、暇のある旅人たちがこぞって寄ってくる。 「兄さん、アンタ琵琶弾きだろ?」  そう聞かれたら、ただ笑って「是」と答えるだけだ。 「何か一曲、お願いしてもいいかい?」  これにも、もちろん笑って「是」だ。  満開の桜の中で、一本だけ切株を見つけた。そこに腰をかける。  風が舞えば、桜も舞う。  桜が舞えば、その分琵琶が風にのる。 「では、とある琵琶弾きの語りでも…」  そうして今日も琵琶を弾く。



 遥か昔、そしてそう遠くない未来の話。
 一人の愚かな琵琶弾きは、呪いの桜に恋をした。

 春の日、愚かな琵琶弾きは賭けをした。
 とある桜の下で琵琶を弾くと。
 愚かな琵琶弾きはあっさりとそれを受けた。
 桜の呼称に怖じけることなく。
 寄り付くものを呪い祟る。
 その木は呪いの桜の木。


『やぁ、綺麗な桜だなー』
 愚かな琵琶弾きは脳天気。のこのこと桜の下にやってきた。
『天気は上々、風も良好。今日は琵琶がよく鳴りそうだ』
 琵琶弾きは早速琵琶を取り出した。
 咲き誇る桜の幹によりかかり、静かに琵琶を弾きだした。

 桜花爛漫 春花紅楼
 弄花天心 春霞朦朧
 狂花緩慢 春愁玲瓏
 恋花繚乱 春情爛々
 これをもって 春花秋月の極みなり

 琵琶弾きは、最後の弦を弾いた手を高々と上げた。
 小さな拍手が聞こえた。
 いつの間にか隣にいた少女は、にこにこと嬉しそうに笑っていた。
 桜色の髪をなびかせ、桜色の衣を身につけ、体は透き通るように白かった。
『こんにちは、琵琶弾きさん』
『やぁ、君はこの桜の守り神かな?』
『守り神なんかじゃないわ、ただの桜の精よ』
 琵琶弾きは、ポロロン、と弦を弾いた。考える時の、癖だった。
『それはおかしいね。人を祟る桜と聞いて来たのだけれど。祟るのは神、救うのは仏。なら精霊さんは何をする?』
『何もしないわ。ねぇ琵琶弾きさん、琵琶を弾いて?とても気持ちいいの』
 琵琶弾きは琵琶を弾いた。
 桜の精は隣で踊った。
 春の陽光は舞台灯。
 舞い散る花弁は紙吹雪。
 麗らかな春の時間を、貴方と共に。
 愚かな琵琶弾きは、時間を忘れて琵琶を弾いた。
 何度も日を見送り、何度も日を迎えた。
 ある時、桜の精は悲しそうに叫んだ。
『まぁ、大変。もう春が終わってしまうわ』
『春が終わると、君はどうなるんだい?』
『次の春が来るまで、消えてしまうわ』
『そうか。なら、僕は冬にここに帰ってこよう。夏秋旅をして、冬にはここでまた琵琶を弾こう。春になって目覚めた君が、一人で寂しい思いをしないように』
 そうして二人は契りをかわした。
 愚かな琵琶弾きは、最も愚かな約束をした。

 夏の歌を歌って
 秋の唄を弾いた
 冬になって、琵琶弾きは桜のもとに帰ってきた。

 桜は、切株しかなかった。

『どうして、こんな酷いことをするんだ』
 愚かな琵琶弾きは、愚かな契りを嘆いて泣いた。
 無惨な姿になった桜にすがりつき、吹雪の中で泣き続けた。


   やがて、雪がとけて春がきた。
 傷だらけになった桜の精は、愚かな琵琶弾きを見た。
 愚かな琵琶弾きは、切株の横で冷たくなっていた。
 琵琶の弦は、切れていた。
 桜の精は顔をおおって、さめざめと泣いた。
『なんてひどいの』
 桜の精は、愚かな琵琶弾きに琵琶を握らせた。
 冷たくなった頬に、優しく触れた。
『帰ってきて、愛しい人。私に、寂しい思いをさせないで』
 琵琶弾きの唇に、口付けた。
 咲かないはずの桜の花が、二人を包んだ。
 二人はそのまま、いなくなった。


 それから春の言い伝え。
 満開の桜の中に、ひとつだけ切株があるだろう。
 日没と夜明けにのぞいてごらん。
 きっと美しい、春のお祝いをしているから。
 その木は呪いの桜じゃなくて
 美しすぎる 祝いの桜。

 これが常世の風に聞く
 春の桜の物語…



 琵琶弾きは、最後の弦を弾いた手を高々と上げた。  いつのまにかできていた人だかりから、わっと拍手が沸き起こる。 「いいぞ兄さん!!」 「見事なもんだなぁ」  人々の喝采の中、琵琶弾きは立ち上がる。  自分が腰かけていた桜の切株を、礼を言うように優しくなでた。  満開の桜の中の、たった一つの切株を。


 きっと今日の日没には、世にも愚かな琵琶弾きが、琵琶を弾きに現れる…



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作中の詩は、文法から言葉まですべて私の勝手な創造です笑 漢詩っぽく見えたりするけどそんなことは全然ないんだ! つーわけで一応詩の意味 「桜の花が光り輝き 豊かな家の花飾りのようだ 天の中で花をもてあそぶ貴方は 朧がかった春の霧のようだ 狂い咲きの花もどこか優しく 春を愁いて歌っているようだ 恋の花は咲き乱れ 春の気色も貴方の恋もきらきらと光り輝いているようだ これらはすべて 自然の美観の極みであったよ」

約一年前に三万打HIT記念に書いた話。 三万打、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。



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