物心ついた時、既に母はいなかった。父は酒と賭博に溺れ、自宅に寄り付かなくなった。まだ幼かった少年が自らを庇護してくれる女性の存在を求めたのは、至極当然のことだった。


 香水の匂いが鼻につき、瞼をゆるゆると上げた。暗闇の中で、蝋燭の灯が頼りなく揺れている。  裸体の上に申し訳程度にかかっている薄いシーツを除けて、上体を起こした。隣で眠っていた女が、それを拒むように腕を絡めてくる。揺れる炎に照らされた肌が、艶めかしく煌めいた。 「もう、起きるの?」 「もうすぐ夜明けだろ。帰らなくちゃ」 「まだいいじゃない、久しぶりなんだから…ね?」  女もするりとシーツから這い出て、しなだれかかるようにして首に腕を回してきた。そのまま柔らかい唇を押しつけてくる。 「ナナキ、愛してるわ」 「あぁ、俺も好きだよ」 「愛してるって、言ってくれないのね」 「天使がお望みなら何度でも。愛してるよ」 「もう!嘘ばっかり」  ナナキの胸元を突き飛ばし、女は背を向けた。一糸纏わぬ背中で揺れるブロンドが美しくて、一房手にとる。すっと手をひくと、砂のようにさらさらと零れ落ちた。後ろから優しく抱き締めて、首筋にキスを落とす。身じろぎして逃れようとする彼女の手首を掴んで、耳元で低く囁いた。 「拗ねる姿もいいけど、かわいい顔を見せてくれる方が嬉しいな、ロザリア」 「昨日はルキアのところへ行ったんでしょ。一昨日はアンジェリカ。その前はクリスティーヌ。その前はニコラ、ベル、ジュリエッタ。一週間前は…」 「でも、今日はお前のところに来た。…だろ?なぁ、機嫌直してくれよ。帰る前に笑顔が見たい」 「ホント、女を弄ぶのが巧いのね」 「おいおい、心外だなぁ。俺は女性が大好きなだけだよ。何よりも輝いてる、この世の至宝だと思ってる。1つ1つが俺にとってかけがえのないもので、ロザリアもその中の大事な宝石だ。それじゃ、嫌?」  最後は、細い体を抱きしめて懇願するような口調で。それが女性の母性本能を擽ることを知っている。案の定彼女は体を捩らせ、ナナキの背に腕を回してきた。 「生意気だわ、子供のくせに」 「来年で17だよ。アカデミーも卒業して、軍人になる。もう大人だ」 「まだまだ子供よ。私達からしたらね」  ナナキを抱きしめる腕に、力がこもった。 「でも、愛してるわ、ナナキ」 「あぁ」 「また来てくれる?」 「もちろん。愛してるよロザリア、この世の何よりも」  感嘆の声を洩らし、ロザリアは再びナナキに唇を重ねてくる。息つぎを繰り返しながら、何度も、何度も。 「愛してる」  愛してくれなくていいよ。 「俺も、愛してるよ」  愛してないから。  流れるように愛の言葉を紡ぐ空虚な唇に、ナナキは自嘲的に笑った。好きだけど、愛してない。  
 逆説の真理を悟られぬよう、何度もキスを繰り返した。  




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