「永遠と愛を誓え、恋人よ」





舞踏会で見かけた君は、1人で静かに微笑んでいて

まるで、壁に咲いた一輪の花のようだった



「ジェイ!」  明るく賑わう雑踏の中、自分の名前を耳で認め、青年は振り返った。オールバック気味の黒髪が風に揺れる。道の真ん中で立ち止まった青年を避けるため周りの人々が歩きにくそうに体をずらした。  今日は建国39周年を祝うカーニバルだ。王都の正面入り口である凱旋門から城へと続くメインストリートを中心に所狭しと店が立ち並び、都中が人で溢れかえっている。  今彼がいるのは貴族や裕福な平民が主に居を構える東区だ。楽隊が音楽を奏で、芸人が場を盛り上げ、人々は年に1度の祭りを思い思いに楽しんでいた。  人ごみを分けてこちらへ進んでくるのは彼の同僚だった。明るい茶髪を揺らして必死に近づいてくる。詰め襟型の黒いスチールウェアと胸に輝く金のバッヂは、王国警邏隊の証だ。ジェイも似たような風体をしているが、上着は身につけずシャツにベストという多少ラフな服装だ。  ジェイは友人にむけて朗らかに左手を挙げる。その手にはピンク色の棒付きアイスバーが握られていた。 「よぉ、いい天気だなマイク。絶好のカーニバル日和だ」 「まったくだな。あ、知ってるか?後で中央広場に異国のサーカスが…じゃなくて!何やってんだよ制服も着ないで!お前今東区の警備担当だろ。東門にいないからって隊長がカンカンになって探してるぞ!」 「なんだよ、そんなことのためにわざわざ来たのか?自分の担当ほったらかして」 「お前を探す間だけアランに任せてきたんだよ。早く戻らなきゃいけないんだからお前さっさと隊長んとこに…っむがもごむが」  突然マイクの言葉が詰まる。ジェイの右手により押し込まれたアイスバーを口の中で持て余しつつ、抗議の唸り声をあげた。突如口内を襲う冷たさに、瞼の裏がキンと傷む。  自分は左手に持ったイチゴのアイスを一舐めし、ジェイは笑いをかみ殺してマイクを見た。 「それ食って戻れよ。俺はちゃぁんと仕事してっから」 「ひょほが!」 「ちゃんと食えって。東区の警備は何も門だけが持ち場じゃないだろ?」 「ひゃに?」  瞬間、ジェイは不敵に微笑み、舐めたばかりのアイスをまるでナイフのように飛ばした。人の合間を縫ったそれは、ある男の後頭部に当たり、落ちる。人々の足が行き交う石畳の上にピンクの染みが広がった。  突然の襲撃に男性は弾かれたように顔をあげ、怯えた表情で脱兎のごとく駆け出した。が、瞬時に右腕を絡め取られて地面と頭が激突する。周囲から悲鳴があがる。男の背中に足をかけたまま、ジェイは朗らかに笑って右手を差し出した。 「オッサン、財布だしな」  雑踏のざわめきの中でマイクの悲鳴のような叫び声が聞こえる。祭りの市を満喫していた人々は、恐れをなして二人から一歩遠のいた。まさか真っ昼間からカツアゲなんて。しかもこんな公道で堂々と。  ジェイとスリを取り囲むように、群集の輪ができる。人々の視線は黒髪の若者と組み敷かれた男に注がれた。  周りの視線などおかまいなしに勝手に男の懐を探り出したジェイは、目当てのモノを見つけて引き抜いた。それを高々と頭上にあげる。 「これ、誰の?」  マイクを含めた群集が一瞬ぽかんとする。と、1人の婦人が間の抜けた声をあげた。 「あら、私の財布だわ」  中年のふくよかな女性だった。日除けのため頭に赤いスカーフをまき、丸くて小さな籠を腕にさげている。ジェイが軽く放ると、財布は緩く弧を描いて婦人の掌にすとん、とおさまった。 「おばちゃん、気をつけなきゃダメだろ?祭りの時ってスリのテンション一番あがっちゃうんだから」 「あらあらあら、ありがとうねぇ」  片手を口に添え、おっとりと笑う。ジェイもにこにこと笑いながら、おもむろに右手をさしだした。婦人はその意図するところが読めずに小首をかしげる。ジェイはもう一押し右手を押し出した。 「おばちゃん知らねぇの、拾い主3割ってよく言「こンのアホたれがぁぁぁ!!」  怒号とともにジェイの体が前につんのめる。背後からジェイの後頭部を殴ったマイクは、そのまま右手で彼の頭を鷲掴んで力の限り地面に向けて押し付けた。 「すみません失礼しました本当に申し訳ないこの馬鹿が!俺達は王国警邏です!自らの心血を賭して礼儀をもって市民の皆様の安全を守るという基本理念を無視しまくったこの馬鹿がこの馬鹿がこの馬鹿があろうことか金をせびるなんて申し訳ないこの馬鹿が!」 「おい、あんまりバカバカ言うなよ。傷つくぞ」 「黙れ馬鹿!」  頭を押さえつけられた状態のままの抗議はあっさり一蹴される。婦人は人のよさそうな微笑みを浮かべて手をひらひら振った。 「そんな、いいのよ。財布を取り返してくれたんだもの。充分感謝しているわ」 「ですよねぇ〜じゃ、褒美ってことで…」 「いい加減にしろジェイ!もう行くぞ!」  人だかりはもう引いていた。先ほどと変わりなく群衆が流れていく中で、マイクは同僚の襟首をむんずと掴んで婦人に一礼した。婦人は笑顔のまま見送ってくれる。そのままの状態でマイクは足早に歩を進めた。 「ちょ、自分で歩くからさぁ…離してくんね?」 「ダメだ!離したらまたどっか行くだろ!俺はまたお前を探して人混み歩き回るのなんかごめんだ!早く行かないと隊長がまじで怒ってるぞ!?」 「ねぇ」 「つーかさぁマイク。やっぱアイス返してよ。俺さっき投げちゃったし。今冷たいモン超食いたいんだけど」 「誰が返すか。もらったんだから俺のだバーカ」 「ねぇちょっと!」 「あっまたバカって言いやがったこのトンカチ!」 「トンカチってなんだよ。トンチキだろそれ言うなら。ほらだらだら歩くなよ!」 「ねぇっつってんでしょそこの警邏珍妙コンビ!」 「「ん?」」  周りの群衆のざわめきにまぎれた声が自分達に向けられていると気づき、2人は後ろを振り向く。そこには、少々憮然とした表情で1人の少女が立っていた。大人の女性になりきれない幼さを残した顔が、2人を軽く睨んでくる。セミロングの琥珀色の髪が陽光を受けて透きとおるように見えた。コーラルピンクのワンピースに身を包んだ彼女は、ジェイに向けて右手を突き出した。 「はい、これ」  その手に握られていたのは、ピンク色のアイスバーだった。普通に売っているものより一回り小振りである。形も少々いびつだ。というかこれは… 「それ、さっき俺が投げたヤツ?」 「そうよ。拾っといた。誰も踏んでないから、食べられるわよ」 「いやいやいや…せっかくだけど、さすがに地面に落ちたやつはなぁ〜しかもオッサンの頭に当てたし」 「表面削ったからきれいよ」 「えーと…」  対応に困って視線を泳がせるジェイ。ちらりとマイクを見ると、彼はただ肩をすくめただけだった。我関せずということらしい。同僚のツレない態度に内心舌打ちをしながら、ジェイは頭をがしがしと掻いた。少女がくすりと笑う。 「ウソ」 「えぇ?」 もうわけがわからない。 少女は後ろ手にしていた左手を出した。もう1つ持っていたアイスを困惑顔のジェイの手に押し付ける。自分は右手のアイスをペロリと舐めた。 「それ、新しく買ったのだから。かっこよかったわよ、警邏のオニーサン」  呆気にとられるジェイに軽くウインクをして、じゃぁねと少女は人ごみに消えていった。ジェイの手に残されたのは、新品のアイスバー。ピンク色のそれを見つめ、雑踏に視線を戻した。行きかう人々にさえぎられ、もう少女の姿は見えない。 「なんだったんだあの子?変な子だったな」 「………」 「あっこんなことしてる場合じゃない!行くぞジェイ!お前制服どこだよ?」 「…………」 「おい、ジェイ?ジェーイッ」  返事のない友人をマイクは訝しく思い、彼の顔の前で手を振ってみる。  風のように消えていった彼女の面影を探すように、ジェイはぼんやりと群衆の景色を眺めていた。  もらったアイスバーをゆるゆると口へ運び、歯で挟む。かしり、という音と共に口に冷たい甘みが広がった。



 王国警邏隊は20年の伝統を誇る王立警察である。都の最奥に粛々とそびえる王城の、広すぎる中庭。彼らの駐屯所はそこにあった。箱型の白い石造りの建物。入口には王家の紋章と警邏隊の紋章が並べて掲げられている。小さいながら堂々とした佇まいだった。  そのとある一室で、第三部隊45名が両手を後手に組み姿勢を正している。第三部隊は主に若輩の者を集めた隊で、彼ら45名のほとんどが20代の若者だ。  整然と並んだ彼らの前を闊歩するのは、豊かな髭をたくわえた精悍な顔つきの男だった。制服の上からでもその鍛えられた肉体の様は手に取るようにわかる。顔の皺と白髪混じりの頭髪から察するに年は五十前後。張り上げる声はさながら熊の咆哮だ。 「我ら王国警邏は心血を賭し国王陛下はじめ王族系譜の御仁ならびに国に仕える数多の民の平穏と安寧を守ることが第一の役目である!このことをしっかり頭に叩き込んであるか!?」 「「アイサー!」」  一部を除き一糸乱れぬ回答に、満足気に頷いた。 「よぉし。では今日の成果を報告しろ。右、ロナルドから!」  熊親父の指名を受けた若い警邏は、踵を鳴らして敬礼の姿勢をとった。そのまま張りのある声で朗々と告げる。 「私は西区西門の検問を行いました!異常はありませんでした!」 「よし、次!」 「はっ、私は西区広場にて警備を行いました。泥酔して暴れ出した者を一時捕縛いたしました」 「そいつはどうした」 「仮眠室に転がしてあります」 「わかった。次」 「北区中通りを見回りました。異常ありませんでした!」 「次!」 「南区南門担当でした。途中でパートナーがいなくなったので1人で検問しました。大変でした」 「つ、次」 「えぇと、もともと南区南門担当でしたがとある馬鹿を探して東区にいました。担当区に戻れなくてすみません」 「…次」 「スリ倒しておばちゃんの財布を取り返して女の子にアイスもらいました。以上」  歩き回っていた熊の足が、1人の黒髪警邏の前でピタリと止まる。頭一つ分高い位置からねめつけるように見下ろした。額の隅で蠢く血管の筋が、怒りの沸点が近いことを示している。そのまま握りつぶされてしまいそうな視線を受け止めても、ジェイは臆せずニコリと笑った。 「オススメはイチゴ味です」 「ちぇすとぉぉぉ!!」 「おぶぁっ」  叫声と共に拳がジェイの頬を捉える。全力の打撃ではなかったが、それでも衝撃で思わず尻餅をついた。周りの若者達はそんな光景にも慣れたもので、肩をすくめたり忍び笑いを漏らしたりしている。  殴られた左頬を押さえ、ジェイは口を尖らせた。 「前半の報告聞いてました?スリ倒したんすけど」 「ほぉ〜それで、ジェイ・クロウ?そのスリはどうした」 「逃げました」  淀みない回答に額の筋がピクリと動く。自らを落ち着かせるように熊親父はゆっくりと頷き、ジェイの正面にしゃがんだ。 「ほぅほぅ、市民から警邏が勤務中に買い食いをしていたという情報が入ったが貴様か?」 「や、マイクです。俺制服着てなかったし」 「もう一発ちぇすとぉぉぉ!」 「痛ぇッ」  熊の手刀が脳天にぶち込まれる。悲鳴をあげるジェイの両頬を片手でむんずと掴んで前後にがくがくと揺さぶった。 「この根底からブッ弛んだ精神はどこからきとるんだ!?貴様は緊張とか誠心とかをどぶに落としてきたのか!」 「おおおおちついてダニー」 「上司に愛称を使うな馬鹿者ぉ!」 「おぶぶぶ」  さらに激しく揺さぶられて、ジェイはひょっとこ口のままもはや喋ることもできず奇声を発する。そろそろ止めてやろうかと同僚達が視線を交わし始めた。  その時
 ―――コンコン、
 固い物同士がぶつかる、無機質な音。全員の視線が音の方に向いた。部屋の入り口で壁に寄りかかるようにして立っていたのは、すらりとした体躯の青年だった。年の頃はジェイと同じだろうか。絵画のように整った顔立ちをしている。輝くような金髪が零れて空色の瞳にかかっているのが聖書に出てくる天使のようで、何とも神秘的だった。  突然現れた彼は、手にした鞘を下ろした。先ほどの音はそれで壁を叩いたものだったようだ。  室内は一瞬水を打ったように静まり…ジェイを除く全警邏が一斉に彼にむかって敬礼した。熊親父が先ほどまでとは異なった上ずった声を張り上げる。 「クッ…クリス殿!お出迎えもせずに失礼致しました!」 「ごきげんよう、ダニエル隊長。入口で何度か呼んだが返事がなかったのでな。勝手に入らせてもらったぞ」 「はっ!」  クリス、と呼ばれた青年は壁から体を離すと、流れるようなしなやかな動きで剣を腰にさした。警邏の誰かが恍惚とした溜息を洩らすのが聞こえる。クリスは顎をくい、と動かして、未だ床に座り込んだままの男をさした。 「そこの猿を借りていくが、いいか」 「もっ、もちろんであります。こいつの性根を叩きなおしてやってください!」 「うぉっと…襟首つかまないでくださいよ、皺になる」 「黙れバカ者!ほら、とっとと行け!」  シャツの襟首を掴まれて引きずり立たされ、乱暴に背中を押される。クリスの正面につんのめるような形で押し出され、ジェイは少々顔を顰めてダニエルを見た。が、しっしっとぞんざいに手を振られるだけだった。さすがに頭にきたが、はたと表情をとめる。目の前の青年の肩が、小刻みに震えていた。一瞬、視線がかち合った。が、ふいと逸らされる。容姿端麗な剣士は咳ばらいを一つして、きびすを返した。 「それでは、私はこれで失礼する」 「隊長ぉーばいなら〜」 「ふざけるなジェイ!クリス殿ッご足労感謝いたします!」  ダニエルの怒声を背中に受けながら、ジェイはクリスの後について足早に警邏駐屯所を後にした。


 城というものは、とにかく無駄に広い。警邏隊の駐屯所が置かれている中庭を抜けて正面広間に入り、長い通路を渡って西塔へ抜ける。そこから再び外へ出て壁にそってぐるりと回ると、城の裏側に出ることができるのだった。茂みが鬱蒼と生い茂り、少々薄暗い。城内における2人の秘密の邂逅場所だった。 「くっ…」  クリスが声を洩らす。蔦が絡まった城壁に右手をついた。体をくの字に折り曲げると、細い髪がはらりと顔にかかる。 「ははっ、ははははは!」  左手で腹を押さえ、声をあげて笑いだした。もう我慢できないとでもいうように、後から後からこみ上げてくる。そのままずるずると地面に座り込んだ。ジェイがにやりと口の端を上げる。 「おいおーい、クールでビューティな客員剣士様が地べたで爆笑すんなよなー」 「だ、だって…お前のあの扱いはないだろ!はははっ、あーおもしろい」 「普通に『猿』で俺だって理解しやがってあのオッサン。ふざけんなっつーの!つか、お前どこから見てたわけ」 「お前が腹に一発くらってたとこから」 「そこかよ!薄情野郎!」  悪態をつきながらも、ジェイの顔は笑っていた。壁にもたれるようにして、クリスの隣に腰を下ろす。ジェイは先ほどの警備の時とは異なりきちんと制服に身を包んでいた。黒いパンツに金色のベルトを締め、同じ色のスチールウェアで上半身を覆う。何年か着古されたウェアは、裾がほつれている部分もあった。この服装が警邏の一般的な制服だが、ジェイが普通の警邏達と違うのはウェアのボタンをだらしなく第3まで開けていることだ。対してクリスは白いパンツに海のように深いブルーのウェアを着ていた。黒いマントにはプラチナが織り込まれ、陽光の加減できらきらと光って見える。服装だけで見ても、2人の間には相当な身分の隔たりがあることが一目瞭然だ。しかしその2人はお互いに顔を合わせ、まるで兄弟のように笑い合った。 「2ヶ月ぶり、ブラザー」 「正確には1月と3週間と4日だ」 「細けぇよ、ばか」  悪態をついて、笑って、他愛のない話をしよう。  腰をおろしたまま親愛の抱擁を交わし、2人はこの時だけ9年前の子供に戻る。  そろそろ夕方に差し掛かろうかという午後の光が、辺りを優しく包んでいた。



 マリア・ベラクアは困っていた。 (どうしよう。余計な買い物したらお塩が買えなかったわ)  足早に家路を急ぐ少女の顔は、怒りと困惑と他にも何かが綯交ぜになったような表情を浮かべていた。足を踏み出すたびにコーラルピンクのワンピースがふわりと揺れる。肩にかかる髪をはらい、深く溜息をついた。 「家、越そうかしら」  少女が吐くようなセリフではないし、そもそも彼女が背負うべき案件でもない。しかし彼女の家は切実な問題に直面していた。  金がないのである。  ベラクア家といえば、十数代前から国に仕えてきた由緒ある血筋の貴族だ。王の執務をサポートするための書物庫の管理を代々請負い、王家からの信頼もそれなりに厚かった。それが彼女の曾々祖父の代から財政が破綻し始め、あれよあれよという間に転落の一途をたどっていった。今では『伝統はあるが金はない』落ちぶれ貴族の典型である。それでも貴族たるプライドは捨てまいと、東区に構えたベラクア家の邸宅だけは兄と2人で守ってきた。敷地自体はさして広くもないが、外壁の装飾や邸内の絵画、骨董品等に、年月を経てきた貴族の矜持が垣間見える。  何らかの花を象ったブロンズ製の門をくぐる。今や数少ない使用人の1人である庭師が声をかけてきた。マリアが幼少の頃から仕えている初老の男性だ。ねぎらいの言葉をかけて、そのまま玄関の扉へ向かう。 「ただいま〜」 「あれ、お帰りなさい、お嬢さん!」  邸内に足を踏み入れた途端に、快活な声がマリアを出迎えてくれた。真白なコック服に身を包んだ人の良さそうな金髪の青年。なぜか左手にはバケツを下げ、右手には絞りかけの雑巾を握っていた。にこにこと笑みを浮かべて、こちらに向かって廊下を歩いてくる。  そんな彼の姿を頭から爪先まで見つめ、半ば答えを予想しながらも一応マリアは尋ねた。 「…デイビット。何やってるの?」 「掃除ですよ、お嬢さん。今ちょいと暇なもんで」 「そう、掃除ね。掃除って普通もうちょっと汚れにくい服装でやるもんじゃない?」 「いやーでも俺私服以外ってこれしか服なくて…」 「じゃー私服でいいから、キッチンに入る服で掃除とかしないでよっ!せめてエプロンしてーっ!」 「あははは、すみません」  からからと笑いながら、マリアが両腕で抱えていた荷物を片手でひょいと引き受けてくれた。空いた手でマリアの頭をぽんぽん叩いてくる。デイビットは10年近く前にマリアの両親が孤児院から引き取り、使用人として育ててきたのだった。マリアにとっては年の近い兄のような存在だ。 「お嬢さん、買い物行く時は俺を呼んでくださいって言ったでしょ?荷物持ちくらいはしますから」 「ん、ありがと」 「そういえば、旦那がお嬢さんのことを探してましたよ。帰ってきたら書斎に来るように言ってました」 「兄様が?」 「昨日上のおエライ様に呼び出しを受けたみたいで。まーた色々言われたらしくて拗ねてるから、早めに行ってあげてくださいね」 「わかった」  家に来たばかりの頃はマリアの兄の遊び相手でもあったデイビットは、彼が当主となった今でもあまり歯に衣を着せない物言いをする。きっと他の貴族の家ではあるまじき行為なのだろうが、この親愛さがマリアは大好きだった。  書斎のある2階へと続く階段に足をかける。デイビットも軽く片手を上げ、掃除用具と買い物の荷物を抱えてその場を去ろうとした。 「あ…デイビット!」 「なんですか、お嬢さん」 「実は、ちょっといろいろあってお塩買えなかったんだけど」 「あぁ〜買い食いですか?ダメですよ〜何買ったんです?」 「……アイス…」 「ははっ了解、料理には適当に俺のナミダでもいれときますよ」 「ちょ、それはヤだ!」 「冗談ですって」  手をふりながらデイビットは廊下の先へと姿を消した。それを見送っていたマリアは、1拍遅れて小さく噴き出す。階段の手すりに両手をつき、うずくまるように体を丸めてこみあげる笑いを抑えていた。  彼と話した後は、何だかいつも胸がほっこりと暖かくなる。 (明日は、デイビットを誘って買い物に行こうかな)  建国記念の祭典はまだ終わらない。一緒にカーニバルに出掛けたい、など口が裂けても言えないが、普段から出ている買い物の付き添いなら話は別だ。 (そういえば、今日の黒い警邏のオニーサンはおもしろい人だったわ)  頭の片隅でぼんやりと考える。いい歳して、仕事中にイチゴのアイスを食べていた王国公務の警察。まさか自分の食べかけを人に投げつけるとは。  再び襲ってきた別の笑いの発作に体を震わせつつ、マリアは手すりを頼りに階段を1段ずつあがっていった。  登りきった先の正面に、木製の扉が構えている。マリアはワンピースの裾を直し、金属製のノブに手をかける。重いそれを押し下げて、扉を開けた。 「兄様、お呼びで……」 「おかえりマリア、舞踏会だよ!!」  沈黙。扉を押し開けたままの体勢で固まる。 「………………はぁ!?」  にこにこと満面の笑みで迎える兄の前で、マリアは思い切り眉根を潜めた。書類を書いていたのだろう、兄はペンを机におくと、顎の下で手を組んでこちらを見上げてきた。  そして「ちょっとそこまで買い物行こう」くらいの軽さで告げる。
「旦那さん探しに行こう、マリア」




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