帝国末期を語るには、やはりここから始めねばなるまい。
旧帝国暦1098年陰の月、第64代帝王ダリオン・ロマディウス崩御。
優れた判断力と統率力で賢王と讃えられた反面、粗すぎる財政経済が庶民の批判を呼んだ。
原因不明の病による、突然の死だった。
賢王ダリオンの後継として玉座に納まることになったのは、フェルロン=ロマディウス王子。
ダリオンの寵愛を受けた侍女の腹より出でた庶子だった。
血と汗が混じる軍隊に籍をおいていた王子は、一転して豪華絢爛な宮殿にその身を献じることとなる。
この時、齢25だった。
大陸情勢は混乱の一途をたどっていた。
西の国境では隣国との紛争が多発し、国内でも国家転覆を目論む共和主義運動が活発化していた。
さらに新王を悩ませたのは、自らの私腹を肥やすことのみに力を注ぐ腐敗しきった当時の宮廷貴族達。
あらゆる内憂外患から若き王を守るため、ある若者達が立ち上がった。
王族直属護衛騎士隊。俗名を紅髑髏<レッドスケル>という。
天駆ける船を乗り回し奇怪な剣を振るう、帝国史上最強の野蛮人集団、と語り継がれている。
(「大陸史―帝末を語る」より抜粋)
――帝国暦1099年 地の月
音が耳障りだ。
きっと、それが苛立ちの原因なのだろう。
ガイは大きく舌打ちをして、拳で気圧計を殴りつけた。衝撃と共に針がぐるぐるぐるっと3回転ほど一気に回る。同時に《emargency》と書かれた赤いランプが点灯した。
「ッだあぁぁこのポンコツ!」
『ねぇガイさん』
「あぁ!?」
人一人がやっと座れるほどの狭い操舵席の壁に、二人分の声が反射する。少年の声は右膝あたりに突き出た通信管から聞こえてきた。
『やっぱ今日無理だって!いったん帰ってマルロに見てもらおうよぉ』
「馬ァ鹿!あんなマッドに見られちゃ直るモンも直らねぇよ」
『だって俺んとこ何か煙出てきたんだけどーッ』
「うるせぇ気にすんな幻覚だ」
『うわーん無茶だぁぁっ』
めそめそと弱音を吐く少年は、おそらく隣を飛ぶ小型飛行艇に乗っているのだろう。ガイが乗っているものと同型だ。違いと言えば、機体の側面に書かれた『壱』の文字である。ガイの機体には『零』と記されていた。
通信管から絶えず漏れてくる少年の弱音に促されるように、ちらりと視線を走らせる。確かに隣を飛ぶ機体からは、先程からプシュップシュッとエンジン音らしからぬ音と共に白い煙が吹き出していた。見てない振り。
「とにかく、サイザリスに着くまで絶ッ対墜ちるんじゃねぇぞ!わかったか?」
『……』
「おい、聞いてんのかユアン」
返事はない。と、次の瞬間、突然ガイの機体に衝撃が走る。
ぎょっとして顔を右に向け、窓から見える事態にガイは愕然とした。そこに広がっているはずの青空は見当たらない。何故かすぐ外に見えるのは、隣の機体の操舵席。少年の小型艇は大きく左に傾いていた。
再度、衝撃がくる。互いの翼が重なり、擦れ、耳障りな音をたてる。
ユアンは放心状態で虚空を見つめていた。ガイは通信管に向かって唾を飛ばす。
「おいアホ!チビ!何やってんだ間抜け!」
『……』
通信異常か。こんな時ばかり都合のいい。
何とか気づかせようとガイは力まかせに窓を拳で殴ったが、現実から逃避中の少年は反応を示さないままだった。
そうしている間にも機体は揺れる。ぐんぐん高度が下がってきた。操舵管を思いきり引いてみるが、既に舵はきかなかった。
「くそッてめぇ降りたら覚えてろよ!泣きわめいても承知しねぇからな!」
一人でぎゃんぎゃん吠えても事態は変わらず。
数秒後、緑豊かな林の中に、二機は仲良く墜落した。
『燃料不足よ』
女性の声はあっさりとそうのたまった。ガイの右肩がかくっと落ちる。屋根の開いた操舵席の縁を脇で挟むようにして、外から寄りかかった。コードで口元まで伸ばした通信管に、うんざりしたような声音で言う。
「燃料不足だぁ?」
『そ、アンタたち補給しないまま飛んだでしょ。こっちの記録に残ってないもの』
覚えのない話にガイは首を捻った。ちなみにユアンはといえば、墜落のショックとガイの拳骨のダブルパンチで、くたっと地面に横たわっている。
林の中に落ちたおかげだろう。木々がクッションの役目となり落下速度を和らげたためか、小型艇にめだった損傷は見られない。機体も二人も掠り傷ですんだのは、まったく奇跡に等しいことだ。
「燃料ってなんだよ。ガスいらず、自動で飛べる古代の飛行艇なんだろ?」
『もーッあたしがいつそんなこと言ったのよ!燃料はいるに決まってんでしょ!確かにガスいらずだけど、"パルス"が燃料になるの!』
「ねぇねぇマルロ」
ひょこ、とユアンが横から身を乗り出して口を挟む。ショックからは回復してきたらしい。
ガイとユアンが着ている外套は、全く同じ物だった。黒地に銀のボタンが映える。右の肩口には金糸で帝国紋章の刺繍が施されていた。
しかしどことなく印象が違う。
着方が崩れているとはいえきっちりサイズの合っているガイに対して、ユアンにとっては多少大きいようだった。本来腿丈だが、ユアンが着ると膝裏に届く。長すぎる袖は大きく捲りあげて裏地を大胆に見せていた。
規格未満の少年は、姿の見えない通話者に無邪気に問いかけた。
「パルスってあのパルス?」
『他に何のパルスがあんのよ、このスカタン!。アンタらの力の"パルス"に決まってるでしょ。ホントに説明聞いてたの!?』
「いやまったく」
『キィィーッ!』
怒りのあまり頭を掻きむしるマルロの姿が目に浮かぶようだ。ちょこちょことした跳ねがかわいらしい紫色の髪が、鳥の巣状態になっていることだろう。
"パルス"
ソリコンティアに住まう人間にごく稀に現れる、いわゆる特殊能力の学的総称である。世間では一般に「始祖還り」と呼ばれることが多い。
その昔、神話時代には当然のように誰もが持っていた力だそうだ。今では1万人に1人いるかいないかという割合になってしまったが。
その力の種別は定かではない。童話によくあるような、自然を操ったり空を飛んだりという類の能力ではないのだ。
"ロッド"という特殊な部具を使ってのみ、その力が現れると思われていた。
ごく最近までは。
『もーいいわ。アンタらには帰ってきてからもう一度みっちり説明するから!』
通信管から、諦めたような怒りを抑えたようなマルロの声がする。
ガイとユアンはちら、と視線を交し、互いの脇腹を肘で小突いた。…といっても、著しい身長差のせいでガイの肘はユアンの側頭部にヒットしたが。
『とりあえず、機体はレイとナナキに回収させるわ。アンタらは徒歩でサイザリスへ向かってね。わかった!?」
「うるせぇな、俺に指図すんな」
『あっそ!だったらもっと隊長らしくすることね!』
「あんまカリカリすんなよ。ハゲるぜ、マッド?」
『そうさせてんのはアンタよバカガイ!ていうかマッド言うな』
お決まりの捨て台詞を吐き、通信は一方的に切られた。代わりに流れる無機質な音が、通信の終了を知らせる。
ガイは通信管を元の位置に戻し、両腕を空に突き上げて大きく伸びをした。同時に欠伸まで漏れる。
「仕方ねぇ。じゃぁ歩くとすっか」
「ね、ガイさん。サイザリスってどこにあるんだっけ?」
「南だ」
「またアバウトな…」
「こっからだど徒歩で3日はかかるな。路銀がねぇから夜も歩くぞ宿はナシだ食いモンはお前が取ってこい」
「えぇっ!?ちょっと待ってよ!」
「俺の助力は一切ナシ。剣は使うなよ、ナイフで仕留めろ。夜は肉な。木の実とか取ってきやがったら殴るぞ」
「お、鬼ー!」
「修行だ修行。がんばれ」
自分が楽したいだけじゃんか、とぶちぶち漏らすユアンを尻目に、ガイはのんびりと歩きだした。
墜ちた時は散々だと思ったが、今日は何やら天候がいい。風と雲の流れを見ても、この先もしばらくはこの気候が続くだろう。そういう中を歩くのは、ガイはいくらか好きだった。
木々の間から覗く青空と頬を撫でる風に、気分よく頬をほころばせる。背中を追ってユアンが小走りになる。二人で歩く姿はまるで、辺りの村に住む兄弟のようだった。
外套が風ではためく。背に記された奇妙な紋様が靡いて揺れる。逆さ十字に貫かれた紅髑髏。これが、二人が決して平凡な村の兄弟などではないことを表していた。
彼らが認めたただ一人に命を捧げる、その証。
終焉の足音は、既にこの時から近づいていたのかもしれない。
この紋様を目指して、静かに、気づかれないように。それでも、少しずつ着実に。
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