普段聞き慣れない機械音が耳に微かに響き、フェルロンはペンを止めた。  背後の大きな窓に向こうと、椅子を回す。顔を上げて外を見ると、青い空を並んで飛んでいく2機の無機質な鳥が見えた。  椅子に座ったまま上半身を伸ばし、窓を開ける。音が近くに聞こえた。眩しそうに目を細めて視線で鳥を追いかける。そして不満を示すように、口を小さく曲げた。  と、部屋のドアが細かく2回ノックされ、間髪入れずに内側に開いた。入室してきたのは、生真面目そうな青年…いや、まだ少年と言った方が正しいか。光を反射して輝く細い金髪に端正な顔立ちがよく似合っている。まるで、幼い娘が部屋に飾る小人の人形のようだ。  少年は長い睫を伏せて軽く一礼をすると、すっと姿勢を正した。 「失礼致します、陛下。追加の書類です。確認と署名をお願い致します。南部のゴア村から減税の要請、キンブルム川に建設予定の堤防の費用上奏、それから…」 「なぁリーグ、あいつら帰ってきてたのか!?」  報告をもろにさえぎり、フェルロンは声をあげた。少年―――リーグの右肩がかくっと落ちる。  一億を超える帝国民から畏敬の念を持たれているはずの皇帝が。目の前で不満そうに眉根を寄せ、椅子をぐるぐる回している青年だとは誰も思うまい。  リーグはあからさまに肩で溜め息をついたが、主は気にもとめずまた椅子を回転させ、空いている右手でペンもくるくると回しはじめた。 「なんだよ、あいつら帰ってきた時は一回顔出せって言っといたのに」 「…陛下」 「顔も見せないでまた行っちゃうってヒドくないか?ていうか、帰ってくる予定なんて俺聞いてないぞ。大体あいつら今サイザリスにいるはずだろ?」 「陛下」 「あいつらさ、俺がたまーにみんなに会えるのをどれだけ楽しみにしてるかわかってないよなぁ。今回は土産に南部の地鶏を頼んであるのに。食ったことあるか?ここの気取った食事には絶対でないけど、あのいい感じにのってる脂が…」 「陛下ッ!」  堪忍袋の緒がきれた。  リーグは脇にあったテーブルに乱暴に書類を叩きつけた。そのままツカツカとフェルロンのもとに歩み寄り、主人の手からペンをひったくる。その双眸は、人形どころかまるで鬼だ。 「意味もなく椅子を回すのはやめなさいッ!ペンを使わない時はキャップをしろと何度言ったらわかるんですか?そのまま振り回すからインクが飛ぶんですよインクが!皇帝陛下ともあろう御方が子供みたいな愚痴をダラダラこぼすんじゃありませんッ!」 「あのな、リーグ」 「なんですかっ」  怒涛の口上を遮られたリーグは、肩をいからせて王を見た。いと高き皇帝、と称される人物にここまでビシバシ注意をするのはこの秘書官以外にありえないだろう。  叱られた張本人はまるで悪びれもせず、親指でくいっとある方向を指した。 「書類」 「え?」  眉間に皺を寄せたまま指された方に顔を向け…リーグはぎゃあっと悲鳴をあげた。  開け放たれた窓から吹き込む風が、先ほどテーブルに置いた紙束を吹き上げている。 部屋のドアの前を、重要書類達がヒラヒラと踊っていた。 「あああもうっ何で窓が開いてるんですかっ」 「ごめんなー」 「陛下は座っててください!」  腰を浮かせかけたフェルロンにぴしゃりと言い放ちけ、入り口へ向かう。あの中には本当に重要なものが混ざっているのだ。重要書類とは重要だから重要書類なのであって、折れたり破れたりしたらそれこそ一大事になる。  床に散在した書類を拾おうと腰を屈めた瞬間…目の前のドアが乱暴に開かれた。縁がリーグの額すれすれで空をきる。  掠めた前髪がはらりと揺れ、冷や汗が垂れた。  開け放たれたドアの向こうから甲高い声が聞こえた。 「ちょっとロン聞いてよ、信じらんないわあのクソガイ!」  紫色のくせ毛を振り乱し、白衣の女性が部屋に飛び込んできた。女性はリーグには目もくれず、赤い絨毯をパンプスのヒールで踏みつけながら王の机へ飛んでいく。そのヒールが一枚の書類をとらえた。思わずあがったリーグの悲鳴は無視される。  突然の訪問にも慣れている風で、フェルロンは笑って彼女を迎えた。 「おはようマルロ。今日も暴走気味で何より」 「ンな挨拶はどーでもいいのよッ!あのトンチンカンなへっぽこ凸凹コンビをどーにかしてちょうだい!」  きぃっと両手を振り回し、マルロと呼ばれた女性は足を踏み鳴らした。  小柄でかわいらしい印象だが、通った鼻筋ときゅっとつり上がった大きな瞳が強気な印象を醸し出す。ピンクの紅が引かれた唇は、今は怒りで歪んでいた。  マルロの怒りを知ってか知らずか、フェルロンは呑気に両手を打った。 「あっそれだよそれ。あいつらさっき出てったよな?帰ってきた時は一度ここに顔出すように言っといてくれよ」  見当違いの王の言葉に、マルロは腕を胸の前で組んで斜に構え、忌々しいとでもいうように舌打ちした。 「帰ってきてないわよ。ていうか、当分帰ってこなくていいわ!」 「あれ?でもさっき…」 「あれはレイの五号機とナナキの六号機よ。バカ二人が落とした機体を取りにいってもらったの」 「マルロ博士…!」  突如、背後から地を這うような声がした。マルロは面倒くさそうに首をめぐらせて声の主をねめつける。  リーグは回収し終えた書類を丁寧にフェルロンの机に置くと、半眼で女性博士に詰め寄った。10才以上も年が離れている二人は、ほぼ同じ目線で睨みあう。 「陛下の御部屋に入る時は必ずノックをするようにいつも言っているでしょう!?いきなり入ってこないでください足元を見て歩いてください災害をふりまかないでいただきたい!」 「あーもーうるさいうるさいっ!あたしは今猛烈に怒ってんのよ!人形坊主までぴーちくぱーちく言わないでくれる!?」 「に…っ!な、なんですかその失礼な呼び名は!」 「名付け親は銀髪の唐変朴馬鹿よ。文句ならアイツに言ってよねっ。まぁ言わせてもらうけど、アンタにすごーくぴったりの呼び名だと思うわよ、人形ぼ・う・や」  リーグは衝撃を受けたように後ろによろよろと後退する。  見目はとても愛らしく人形のような彼だが、本人は他人からそう見られることを何よりも嫌っていた。しかし、そう言われて「ハイそうですか」と黙って身を引くような人間がこの城には存在しないのが、彼の哀れな境遇である。  壁にもたれて打ちひしがれるリーグに対し己の勝ちを確信したのか、マルロはふんと鼻を鳴らした。  ようやく火花が収まり始めた二人に隠れて、フェルロンこっそり肩をすくめる。  なんで俺の周りってこう、一見仲悪い奴らばっかりが揃ってるんだろう。




 空を飛ぶことは好きだった。  全てのリミッターから解放されたように、軽くて、自由で。煩わしい地上のしがらみを全て消し去ってくれる。  1度エンジンをゆるめてから急発進。操縦幹を思い切り引く。上昇して、背面。回ってから、また元の位置に戻る。  最高だ。 『遊ぶな、ナナキ』  耳元で不意に低い声がした。ナナキは肩を竦める。しまった、今はユアンと飛んでるんじゃなかった。  左手で通信機のスイッチを入れる。相手は隣を飛んでいる年の離れたパートナーだ。 「ごめん、忘れてた」 『何がじゃ』 「アンタの存在」  笑いを含んでそう言うと、相手が黙った。スピーカーを通して溜息を洩らすような音が聞こえる。急いで一言つけ加えた。 「ジョークだけど」 『わかっとる』  言葉数の少ない彼は、若い頃に大陸中を旅した経験のせいなのか妙な訛りのまじった話し方をする。それが実年齢より上に見られる原因に拍車をかけていることに、彼は気づいているだろうか。  まぁ、そんなところがまた魅力の1つであったりするので、ナナキがあえて言うことはないが。  2人がマルロからの指示で帝都を発って、半日あまりが経過していた。もう日が傾きはじめている。地平線へ急ぐ日を眺めながら、ナナキはもう1度通信機に話しかけた。 「あいつらが墜ちたのって、まだ先?」 『まだじゃ。今日は一旦降りて野宿した方がいいな。夜飛ぶのは好かん』 「俺は好きだけどな」 『わしは嫌いじゃ』 「おっさんだなぁ」  くつくつと笑ってやる。すると相手からの返事はなく、代わりに隣を飛ぶ機体が宣言なく下降をはじめた。  ナナキも慌てて後に続く。 「こんくらいで拗ねんなよな、いい歳が」  毒づきながらも、その口の端は上がっていた。降りる前に、もう1度夕陽に目を向ける。  あぁ、やっぱり空はいいな。愚かで汚い世界の中で、ここだけがこんなにも綺麗だ。



 飛行艇で移動中の野宿は楽だ。操縦席で寝ればいいので、寝床の準備が必要ない。食事と保温のために焚き火を起こすだけでいいのだ。  地面で寝るのは嫌いだ。固くて、目覚めた時の節々の不快感といったら想像するだけで顔を顰めたくなる。それに比べて藁のベッドは最高だ、柔らかいし匂いもいいし、と力説した時の妻の顔が忘れられない。  レイ、あなた本当変な人。  そう言ってけらけらと笑うのだ。そんな彼女もかわいい、と以前同僚にこぼしたら、惚気るなと殴られた。 「レイ、獲ってきた」  聞きなれた声に顔を上げれば、夜空をバックに夕焼け色の髪が視界に映える。ナナキが仕留めたばかりであろう野兎の耳を掴んで立っていた。  でかした、とだけ言ってそれを受け取る。慣れた手つきでナイフを使い、ゆっくりと皮を剥いでいった。  焚き火を挟むように停められた機体に寄りかかり、ナナキはその作業を眺めていた。  不意に、口を開く。 「あのさ、レイ」 「なんじゃ」 「俺これの仕組みがいまだによくわかんないんだけど」  これ、と言いながら背を預けている金属を拳で叩く。無機質な音がした。  レイはちらりと飛行艇を一瞥しただけで、すぐに手元に目線を戻してしまう。 「わしだってわからん」 「天才なのに?」 「言葉は正しく使え、ナナキ。天才てぇのはマルロのことを言うんじゃ。わしに使うのは見当違いだろう」 「マルロはただのマッドじゃん」 「天才の進化系がマッドサイエンティストじゃ」  ナナキは大仰に肩をあげる。わけわかんねぇ、と小さく呟いた。 「とにかく、なんでこんな鉄の塊が空飛べんのか知りたいんだけど」 「鉄の塊が地面走っとるのと同じ原理じゃろ」 「走るのは別にいいよ。車とか列車とかあるじゃん。何で飛ぶんだよ。おかしいだろ」 「神代の産物だから」 「それで片付けちゃうわけ?」 「片付けちゃうわけ、だ」 「大体さ、神代って言っとけば何でも通ると思ってるよな最近」 「実際通るんだから、仕方なかろう」  神代とは、帝国ができるずっと前、大陸に未だ「神」と呼ばれる種族が住んでいた時代だ。 文明は現在よりずっと進んでおり、神達は先天的な特殊能力を駆使して生活をしていたと考えられている。今でも時折特殊能力を持った所謂「始祖還り」と呼ばれる能力者が生まれるのはそういう所以であろう。  さらに、この空飛ぶ機体も、2人が腰に下げている剣も、神代の遺跡から盗掘、もとい少しばかり拝借してきた物だった。  常人には全く意味不明な仕組みや使い方を解析したのは、帝国屈指の天才と名高い、マルロ・シルベリスト博士の99%の才能と1%の努力だ…と言われている。 「ま、いいけどさ。どうせ聞いてもあんま理解できないし」 「じゃろ。だったら最初から聞くな」 「好奇心旺盛なお年頃なんですー知識への純粋な欲求なんですー」 「どうだかな」 「ひっでぇ、真面目にお勉強しようと思ったのに」  言葉と裏腹にまるでやる気のなさそうなナナキを見、レイは薄く笑った。  手元の野兎はいつの間にか全身の皮を失くした哀れな姿になっている。  とりあえず今は、この獲物を焼いて食って、ぐっすりと眠ろう。  明日になったらまた飛ばなくてはいけないのだ。  全ての命を吸い込んでしまいそうな、あの大きな空の中へ。



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