何とも薄気味悪い部屋だった。まだ太陽が天頂におわす真昼間だというのに室内は薄暗い。ワインレッドの分厚いカーテンが陽光を遮っているせいだ。かろうじて空いた隙間から差し込む光と、壁際でふわふわと浮かぶ燭台だけがぼんやりとした輝きを放っている。あの燭台は飛石を使っているのだろう。先ほどから不規則に浮き沈みを繰り返し、その度に灯りがゆらゆらと揺れた。  豪奢なソファに腰を沈めたまま、ミリアリアは深く溜息をつく。なぜこのような所に連れてこられたのだろうか。  よくよく思い返してみようと、昨晩からの記憶を辿ってみる。1人で黙々と酒を飲み続けるレイを無視して自分はベッドに入った。朝目覚めると既に彼の姿はなかったので、適当に出かけていったのだろう。伝言も書き置きも一切なく、自分だけ仕事から弾かれたようで憮然とした気持ちで朝食を済ませた。隣の部屋を訪ねたが、アロドの姿もない。もう勝手に帝都まで帰ってやろうかと自分の部屋に戻りかけたその瞬間だ。黒いローブの数人に突然身柄を拉致されて、状況把握もできぬままこれまでの人生の中で一番乗り心地が最悪な馬車で一気にこの屋敷まで連れてこられたのだ。  若干のおまけ付きで。 「まさか馬車に飛びつくなんて、ほんっとバカだよね」 「うるせーな」  ぐるりと首をめぐらせてソファの後ろへ声をやる。ソファの背に隠れるようにして、むっつりとした表情で床にあぐらをかいたままユアンはボソリと応えた。その両腕は背中に回され、がっちりと縄で縛りあげられている。先ほどから何とか解こうと、暴れたり擦ったり引っ張ったりしているのだが一向に緩む気配はなかった。 「なーミリィ、これ解いてくれってば」 「そんなこと言われても、あたしから見たってあれは明らかに不法侵入よ」 「んだよ、そしたらここの奴らだって姫様拉致の犯人じゃん!無法者じゃん!犯罪者じゃんー!」 「ムホウモノって言葉を知ってたことだけ褒めてあげるわ。それから、姫って言わないで」  ミリアリアが乗せられた馬車はスズメの子も散らす勢いでサイザリスの街中を爆走してきたが、あろうことかその馬車の後台に飛びつき屋敷までくっついてきた大馬鹿がいたのである。その馬鹿は道中ずっと止まれだの死ぬだの連呼し、声にならぬ悲鳴をあげつづけ、屋敷で衛兵によって門外に放り投げられるとすぐに壁をよじ登って敷地内へ侵入しようとしてきた。これは致し方なしとして捕縛に至ったが、残念ながらそこでミリアリアの知人と発覚したため、現在このような状態になっている訳である。 「大体さ、昨日アロドにも言ったけど何でお前らまでこっちにいるわけ?今帝都空っぽじゃん。ロンさん襲われたらどーすんだよ。帰ったらまた軍の奴らにぐちぐち言われんぞ」 「それは、悪いと思ってるけど…こっちだって不可抗力だっての」 「ま、アロドだしなぁ」 「でしょ?あいつだからね」  ちらりと視線を交わして、はぁと溜息をつく。この2人はアロドがきちんと許可を取った休暇であることを知らなかった。  それから小一時間もしただろうか。いい加減待ちくたびれたとユアンが文句を垂れだした頃、ノック音が響いた。数拍おいて部屋のドアがゆっくりと開かれる。  のんびりとした足取りで姿を現したのは、さらりとした茶髪を肩までなびかせたまだ年若い青年だった。豪華な肩章を惜しげもなく晒し、肩章から垂れる細布をこれ見よがしにはらってみせるしぐさに、ソファの影から首を覗かせたユアンは小さく舌打ちをする。極度の貴族嫌いである同僚を視線で黙らせ、ミリアリアは毅然と姿勢を正した。  青年は口元に笑みを湛えたままミリアリアの正面で膝を折った。微かに目を見張る彼女の手を取り、甲に軽く口づけをする。ユアンがうへぇ、と舌を出した。ミリアリアも顔を顰めて手を引く。 「誘拐みたいに無理やり連れてきておいていきなりハンドキス?名乗るくらいしたらどうなの」 「これはご無礼を、姫様。どうかご容赦ください。貴女の美しさを目の当たりにして、僕の愚かな本能はこうするしかなかったのです」  ユアンは心底耳を塞ぎたいと思ったが、両腕が縛られていたためそれは叶わなかった。  青年は膝をついたまま頭を垂れる。 「私はミヒャエル・V・マラクト。この地の総督に任じられているマラクト侯爵の息子でございます」 「そう、ミヒャエルさん。これから言うことをよく聞いてね。ひとつ!あたしのこと姫って呼ばないで。ふたーつ!誘拐は立派な罪よ。理由如何によっては厳しく罰せられるってわかってるわね?」 「それは存じております、姫様」 「だから、」 「姫様は姫様でございましょう?体に流れる血はどんなに願ったところで入れ替えることはできないのです。もちろん姫様だけでなく、私も同様に」  顔を強張らせたミリアリアに気づかないのか故意か、ミヒャエルと名乗った青年は気にする風もなくゆっくりと立ち上がる。ソファの後ろに周り、下から睨みつけてくる少年に手をさしのべた。薄暗い中にぼんやりと浮かぶ笑顔は薄気味悪くて、ユアンはぞくりと背筋が粟立つのを感じた。 「ほら君、そんなところで座ってないでこちらへおいで」 「…お前、この状況見えないわけ?わざとかよ」 「ん?あぁ、縛られているのか!なにか悪戯でもしたんだろう、悪い子だね。ほら解いてあげるから立ちなさい」 「はぁ?…さわんなよ!いいよ、ミリィにやってもらうから」 「姫様になんてこと言うんだい!無礼だろう?ほらほら後ろを向いて!」 「ちょ、おいってば!」  小柄な体はくるりと回されて、抵抗する間もなく固く結ばれた縄は解かれた。跡になった手首を摩りながらユアンは相手を胡乱気に見やる。立ち上がっても、まだ頭1つ分程相手の方が高かった。先ほどと変わらず見上げる形で、渋々といった感で小さく呟いた。 「…ありがとう」 「礼には及ばないよ、ユアン・クライン君」  途端、2人の表情が険呑としたものになる。ユアンは相手を睨みつけ、ミリアリアもソファから立ち上がり険しい表情でミヒャエルを見つめた。ミヒャエルはのんびりと2人を見回し、食えない仕草で肩をすくめる。 「おやおや、どうされました?何かと話題に上るレッドスケルの若きエースの名を知っていたところで驚くことでもないでしょう。さ、姫様お座りください」 「アンタ何考えてるの?あたしを連れてきた理由は何?」 「それもご説明致しますよ。さぁ」 2人にソファに座るよう促し、自分は部屋の隅から椅子を引きずってくる。縁に金属でごてごてと装飾が施された若干悪趣味なものだった。ソファに対面する形で腰を降ろす。椅子に背を預けて長い足をゆったりと組む姿は肖像画に描かれる貴族の見本のようだ。膝頭を抑えるように両手を組み、ミヒャエルは微笑を浮かべたままユアンを見る。 「さて、それではまず結論からお伝えしましよう。人を人と思わぬ殺戮集団、と噂される貴殿らに是非とも依頼したい事がある」  カーテンの隙間から差し込む陽光が、丁度ミヒャエルをぼんやりと照らす。形の良い唇がゆっくりと動いた。
「私の父、サイザリス総督マラクト3世を殺害してくれないかい?」


「………は?」  そう思わず漏らしたのはどちらだったか。ミリアリアとユアンは言われた言葉が理解できずにぽかんと固まってしまった。が、そのまま膠着したのはミリアリアのみで、ユアンはすぐに合点がいったというように両手を打った。 「あーあーあーわかった!お前あれだろ。俺らが何でサイザリスに来たか知ってるんだ」 「ご明察」 「で、丁度いいから父ちゃんが失脚するついでに殺してくれってことか」 「そうなるね」 「いいのかよ、お前の父ちゃんだぞ。家のためなら切り捨てるんだ。さっすが貴族サマは違うな〜やることがブッとんでてまいっちゃう」 「はは、褒めてくれてるのかい?」 「さぁどうだろ」 「ち、ちょっとアンタ達ッ!」  思わず、ミリアリアは立ち上がっていた。  目の前の2人が平然と話していることが理解できない。驚愕に瞳を見開いて、交互に2人を見やる。怖れやら怒りやらが綯交ぜになり、震える拳は左胸の心の臓を押さえていた。 「なんで普通にそんな話してるの!?おかしいよ!人の命でしょ!?殺すだの、丁度いいだの…ていうか、あたしは皆がサイザリスに来た理由っていうのも知らないんだけど!」 「あれ、聞いてない?マラクトのおっさんが飛石を大量に輸入してんだってよ。共和派と組んで、俺達に対抗する飛行機でも作る気なんじゃねーの?」 「飛石を…?」 初耳だった。アロドも、レイもそんな話は一言もしていない。また自分だけが知らされていないのかと、拳を握る力が強くなる。爪が痛いほど掌に食いこんでいたが、気にする余裕もなくなっていた。顔をくしゃくしゃに歪めて、再び静かに腰を降ろす。先ほどよりも深く、体がソファに沈んだような気がした。 「あー、まぁ気にすんなよミリアリア。なっ」 「…そーいう時だけミリアリアって呼ぶのやめてくれる」 「ごめん、ミリィ。でもほら、やっぱお前姫様だからさ、危険に巻き込まれるようなことはあんま知らせられないんじゃねぇかな」 「だからっ、あたしはもう姫じゃないって言ってるでしょ!もう継承権も身分も捨てたんだから!なんで皆でそうやっていつまでも特別扱いするの!?」  頬に一粒零れた涙を、乱暴に手で擦る。ユアンに当たっても仕方がないと理解はしていたが、今はこの気持ちを吐きださないと狂いそうだった。身分に縛られるのが嫌で、全てを捨てて軍属になったつもりだった。しかし現実は捨てたはずの見えない呪に振り回されるばかりである。  一度堰を切ったものは止める術を持たず、幾筋も零れ落ちていく。もう一度、今度は両手で擦るが止まらない。栗色の髪が涙に濡れて頬に張り付いた。  ふと、ぬくもりが優しく頬に触れる。視線を上げるとミヒャエルの顔が眼前にあった。先ほどまでの人を食ったような微笑ではなく、その顔は真剣だった。ミリアリアの前に膝をついた状態で、掌でその涙を拭う。 「だから申し上げたでしょう、姫様。姫様は、姫様でしかないと。その血を変えることはできないのだと。その御身にまつわるものは、そう容易く捨てされるものではない。貴女がいくら言ったところで、兄上である皇帝陛下が承諾なさらなければ、それは詮無きことですよ」 「あんたに、何がわかるのよ…ッ、気安くさわんないで!」 「気易く触れるのは無礼だ、と仰せになられますか?先ほど身分も継承権も捨てたと言われたのはその御口でしたね。全てを捨てた貴女に私が触れることが無礼だと、切り捨てる資格がその身にはおありでしょうか?」 「それは、」 「捨てた何だと喚いておいて都合の良い時にそれを拾って振りかざすとは、分別を持たぬ餓鬼と同じことですよ」 「―――ッ!」  ミリアリアの顔が朱に染まる。口を開きかけたが結局反論する言葉は出ず、そのまま俯いて黙りこんだ。わずかな光を反射して、瞳や頬に留まった涙が微かに光る。  横でその様子を眺めていたユアンは、ミヒャエルにむかって大仰に肩を竦めた。 「姫様姫様って持ち上げといて容赦ねぇな」 「なに、真実を理解していただきたいだけさ」  ユアンに向き直った時は、既に先ほどのような笑みを口元に貼り付けている。そう言えば先ほどからユアンに対する時は口調も砕けたものだ。と、いうことは。 「お前、最初からミリィには頼む気なかったろ」 「おや、よく気がついたね。当たり前だろう?姫様に家内のいざこざの終結なんて頼めるかい?君や他の隊員に働いてもらっている間、姫様はここに留まっていただくよ」  2人の会話にも、もうミリアリアは入ってこようとはしなかった。泣き濡れた頬を静かにぬぐっている。めったに見ない様子に少々心配になるが、今は共に連れて行くよりもこの場に置いていく方が良い気がした。というか、この消沈したミリアリアを連れてアロドに出くわそうものなら自分がボコボコのメタメタに殺される。絶対に。 「で?それを引き受けたとして俺達になんかイイコトってあんの?ていうか、そもそも俺じゃなくてうちの隊長に聞いてもらわないと」 「あぁそれは大丈夫さ。君のところの隊長が断るはずないもの!それに、君たちの本来の仕事を助ける情報を提供してあげるさ」  無駄に自信ありげな様子で、ミヒャエルは胸を張る。ユアンが視線だけで先を促すと、彼は優雅に椅子に腰を降ろして足を組んだ。そしてユアンを手招きする。その人を見下した態度にカチンと来たが、それがミリアリアに先の情報を聞かせないための措置だと気づいて渋々近づいて耳を貸す。 「飛石を運んで飛行機の開発をしている施設がある場所を教えるよ、ユアン君」  耳元で囁く声は、まるで直接刻まれていくように一語一句脳裏に焼きついた。


「ドザ。サイザリスから南に3日のところにある、君の生まれ故郷の村だよ」    




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