屋敷を出てからのガイの行動は素早かった。背で扉の閉まる音を聞いた瞬間、髪を結わいていた紐を解く。両手でその見事な銀髪をがしがしと掻き、もう1度後頭部で括りなおした。門への道を足早に急ぎながら、首元のスカーフを忌わしげに取る。続いて胸に輝く勲章達を次々にむしり取っていった。ぐるぐるとスカーフでそれらを乱暴に巻き込み、門を出た瞬間右に立っていた人間に問答無用で押しつける。突然丸まったスカーフを押しつけられた側は、眉根を潜めて溜息をついた。 「なんじゃ、随分御立腹だな」 「グッドタイミングだ、レイ。行動早いじゃねぇか」 「まだ若いからな」 「あー何か言ったか?すぐにフェルロンに連絡をとってくれ」 「通信機は使えんぞ。わしらの機体は森の中に停めてあるし、お前さんらのはおそらくナナキ諸共敵さんのところじゃろう」 「いいじゃねぇの、俺様の作戦通りだな。まぁナナキには適当に気張ってもらうとして、鷹便でいいから帝都に飛ばせ。『事後報告をお許しください、マルクト侯爵は著しい忠誠心の低下と謀反の気配が見受けられた故、護衛騎士隊長権限7条により粛清完了』ってな」  護衛騎士隊の証である外套を脱ぎ、首元まで閉めていたシャツのボタンをぷちぷちとはずす。つい先ほどまでの貴族然とした若者の面影は露も見当たらず、ニヤリと口の端に笑みを浮かべる姿はどこぞの悪役さながらだ。 「悪いツラしとるのぉ」 「お互い様だろおっさん。さぁ、楽しくなってきたぜ。タイムリミットは鷹便が帝都に届くまでの3日間だ。それまでに証拠掴んでマラクトのジジィをぶっ潰すぞ!」 「そういうことはもっと小声で言わんか、阿呆」 「うっせぇおっさん」 「おっさん言うな」  にやにやとした表情で軽口を叩きあいながら、2人は拳と拳を軽くぶつけた。そのまま背を向け、別の方向へ歩き出す。  数歩行ったところでレイは足を止めた。振り向き、遠ざかって行く隊長の背中をぼんやりと見つめた。陽光を受けて輝く銀髪が揺れている。 (結局、奴の思い通りか)  ユアンあたりは、おそらくまだ何も気づいてはいないだろう。偶然に見えて、今回の出来事は全てあの年若い隊長の掌の中というわけだ。 (まだ何を企んでいるやら。恐ろしい男じゃな)  まぁとりあえず鷹便を扱っている郵便屋を目指そうと、レイは大通りに出るべく道を急いだ。  建物の間の狭く薄暗い道を通り、ようやく大通りから差し込む陽光が見えた。と、通りの方から何やら悲鳴が聞こえる。危ない!とか避けろ!とか、そんな言葉が耳に届いた。大通りの方へ小走りに駆けていき、何事かと建物の影から首を出すと、刹那、目の前を一陣の風が猛烈な速さで吹き抜けた。と同時に。 「ぎやああああああちょっと止まれってぇぇぇ!!!!」  レイの前髪が風の余韻ではらりと揺れる。目の前を猛スピードで駆け抜けていったのは、馬車だ。そして同時に聞こえた叫び声の持ち主は小さな体を丸めて、なぜか馬車の後台に必死にしがみついている。この声、あの体格、そして何より風にはためくあの外套。 「…なーに遊んどるんじゃ、坊主」 「レイ!?」  走り去って行く暴れ馬車を半眼で見つめるレイを、誰かが呼んだ。振り向くと背高の青年が息をきらせて走ってくる。青年はレイの前まで走ってくると、膝に手をついてぜえぜえと息を洩らした。いつも涼しい顔ばかり見せる彼にしては珍しいことだ。良い物を見たと内心思いながら、レイは青年の肩を優しく叩く。 「どうした、何かあったか?」 「レイッ…なんで、いるんだ!?」 「まぁそれはあとでもええじゃろ。一言で言うならガイの企みの一部じゃ」 「ガイの?…くそっ、あいつ俺達も利用したな…」 「『も』?」 「俺が今回サイザリスに来たのは、ガイに前々から許可を取ってたことだ。ミリアリアには内緒にしてたけど」  息をつきながらのアロドの言葉にレイは眉毛を軽くあげる。てっきりアロド達は無断の休暇を楽しみに来たのかと思えば、これもあの男の作戦のうちということか。つまり現在帝都の国王の傍に護衛が誰もいないというありえない状況は、護衛隊長自らが作りだしたものということである。どこまでもやってくれる、と思いつつ、独断が過ぎると後で説教をくれてやろう、と心に決めた。 「それで?状況を説明してくれんか」 「そうだっ!ミリアリアが、連れていかれたんだよ!」 「何?」 「さっきの馬車に乗ってたんだ!側面の扉にマラクト侯爵の紋章が入ってた。てことは、屋敷に連れていかれたんだよな?」 「いや、屋敷とは別方向じゃ。マラクト邸には今しがた行ってきたところじゃからの」 「じゃぁどこに!?」 「まぁ落ちつけ。確か街のどこかに別邸があるはずじゃ。そっちかもしれん」 「別邸か!よし、じゃぁ…」 「だから待てというに」  走り出そうとしたアロドの襟首を掴んで止める。レイより少し高い位置からの目線が無言の文句を醸し出していた。 「さっき馬車にひっついていたのはうちの坊主じゃろ?じゃぁ何もお前さんが今から追いかけなくても何とかなる」 「冗談だろ!?ユアンだぞ!何がどうなるか…安心なんかできるわけないだろ!」 「あいつらももう子供じゃない。自分らでどうにかできるはずじゃ。それよりも、お前にもやってもらうことがあるぞ」 「ガイの作戦ってやつか?人を勝手に利用したやつの考えなんか知るか!それよりもミリアリアを追いかけるのが…」 「アロド・シュバルツ!」  レイの一喝に遮られ、アロドは渋々と口を閉じる。深々と息を吐いて、レイは後頭部をガリガリと掻いた。うちの連中はまったく、お互いを信頼しているのかしていないのか。 「任務じゃ」  淡々と告げるも、アロドの顔に納得の表情は浮かばない。しかし反論がないのは肯定と受けとり、レイは再びアロドの首根っこを掴んで先ほど通ってきた路地裏に引きずり込んだ。大通りはどうしても他人の目がある。 「いいか、鷹便が帝都に届くまでの3日間で侯爵の不正の証拠を掴み、潰す。さらに不敬罪及び共和派へ加担したことによる帝国への謀反の疑いで処刑する。わしらがここに来る時におそらく侯爵の手の者が襲撃してきた。共和派の科学者が飛石の活用法を解明したのかもしれん。次は飛行艇の構造でも盗もうとしたんじゃろうな」 「…で?俺はその侯爵の裏切りの証拠を探せばいいのか?」 「あぁ。できれば輸入された飛石がどこへ運ばれて研究がされているのかを知りたい。街の外にある可能性もあるから、注意して探してくれ」 「わかった」  まだどこか憮然とした表情で、しかしあっさりとアロドは応じた。時間が惜しいとでもいうように、即座に身を翻す。その背中に呼びかけた。 「夜になったら、ガイ達の宿に集合じゃ。勝手にどこか行くなよ」 「…わかってるさ。ちゃんと任務はやるよ」  呟き、腰に佩いた剣の柄を握りしめる。 「"シュバルツ"の名前を与えてくれて、俺を人間にしてくれたのはミリアリアだ。いざという時は、俺は国よりも、何よりもあの子を優先するってことだけ、覚えておいてくれ」 「あぁ…わかっとる」  それ以上は何も語らずに、アロドはその場を走り去った。レイもその後を追ってのんびりと大通りに出る。今度は暴走馬車が駆けてくるなんてこともなく、人々も先ほどの騒動を忘れたかのようにもとのにぎわいが戻っていた。鳥の鳴く声がしたような気がして、空を見上げる。太陽をさえぎって堂々と、一羽の影が飛んでいた。 「ナナキはうまくやっとるかのぉ…」  1人で放り出したのは意図的な行為だったので、もし面倒な目にあっていたら後で謝ってやるか、と胸中で独りごちた。




 目が覚めると、体の下に感じたのはひんやりとした無機質な感触だった。ゆっくりと瞼を上げると、黒く煤けた天井がぼんやりと映る。左の側頭部に鈍い痛みを感じた。連行される時に銃で頭を強打されたのだ。上半身だけ起こして、頭を振ってみる。異常はなさそうだ。 (それにしても…)  ここはどこだ。改めて周りを見回す。といっても、三方を壁、一方を木製の格子で塞がれた狭い空間だった。つまりは牢屋である。牢屋の中には小さな燭台以外何もなく、ナナキは直に床に転がされていたようだ。薄暗い灯りの助けで何とかわかるのは、格子の前に監視の者が1人だけ立っていること。当然だが、護衛騎士の証である剣は没収されていた。  サイザリス手前の森の入口でレイを別れた後、ナナキは単身で飛行機の墜落地点に向かっていた。複数の気配を感じて木の影に隠れて様子を窺うと、護衛騎士隊の飛行機が2機、仲良く地面に不時着しているのが見えた。そこまでは良い。その機体を取り囲んでいる男達が問題だったのである。もう少しよく見ようと腰を浮かせたところで頭に強い衝撃を受け、そこでナナキの意識はとぎれていた。  そして、今の状況に至るという訳である。 (しくじったよなー…)  胡坐を掻いた体勢でぼんやりと考える。これがうちの年長組の奴らに知れたら確実に馬鹿にされるだろう。あぁむかつく。特にレイ以外の2人。とりあえず、何か挽回をしておかないと何を言われるかわかったものではない。  よいしょ、と小さく掛声をあげてナナキは立ちあがった。突然動きだした囚人に驚いたのか、監視の男が声を荒げてくる。 「おとなしくしていろ!」 「…そう言われておとなしくしてる奴がいると思ってんの?」  呆れたように呟くと、格子の右手をかけた。  男の目には、何が起こったかわからなかっただろう。突然格子が爆発して、弾け飛んだように見えたかもしれない。とにかく、数秒後に煙が晴れると、そこには牢屋からすっかり自由の身になったナナキが悠然と立っていた。 「お、お前…どうして…」 「だめだろ?能力者をこんな古めかしい木の牢屋になんていれたら」  鉄製だったらさすがに無理だったけど、と胸中で付け加えるが口にはしない。軍のアカデミーで正式な訓練を受けた能力者なら、例えばロッドなどの媒介なしに木を破壊するくらい造作もないことなのだ。  男は驚愕に目を見開き、恐怖で震えている。これ以上怯えさせるのもかわいそうだと思い一気にみぞおちに拳を叩きこむと、男はあっさりと意識を手放した。床に昏倒する男を見ながら、ぼんやりと考える。能力者、つまり始祖還りを見たのは初めてだったのかもしれない。自分達は比較的能力者の多く集まるアカデミーに所属していたため珍しいものでもなかったが、やはり一般の市民にとっては畏怖すべき存在なのだろう。  今より遠く古代、神々が存在した時代、俗に「神代」と呼ばれる頃には能力者は当たり前に存在するものだったらしい。文献によるものだが、神の血が人間に混ざり、それが特殊な能力として表面化したものが始祖還りだと言われている。  ナナキは周辺を見回したが、自分の剣は見つからなかった。別の場所に持っていかれてしまったらしい。 (始祖還りだなんて言われても、アレがなきゃ大したこともできないんだけどな)  少しだけ、自嘲気味に笑った。自分は時々能力者の意義を問いたくなるが、ユアンならきっと、くだらないと笑うとばしてしまうだろう。  通路の奥に上へと続く階段を見つけ、軽いリズムで上っていく。上るにつれて灯りが遠くなる。どんどん視界は暗くなっていった。ようやく平坦な通路になる。視界はもう完全にまっくらだ。左手を壁に添えてしばらく進んでいくと、つきあたりにはしごがあった。 「のぼるしか、ないよなぁ」  この状況ではしごを上れというのもなかなか勇気がいる。先に待つものがとりあえず剣や銃器でなければいいと祈りながら、一段ずつ慎重に上っていった。  上っていくと、だんだん土の匂いがしてきた。手探りで壁を触ってみると、ぼろぼろっと崩れる。手についたそれを嗅いでみると、やはり土だ。どうやらここは地下らしい。 「いてっ」  頭が何かに衝突した。はしごの終りだ。腕で天井を押してみると、少しずつだが動いた。空いた隙間から目を刺すような光が差し込んでくる。息を吐きながら一気に上に押し上げた。  一瞬、真っ白で何も見えなかった。すぐにそれは太陽の光だと思い当たる。眩しくて、片手を額にかざした。上ってきた穴から体を引き上げると、風と共に乾いた砂が舞っているのがわかる。  だんだん目が慣れてきた。東に登っている太陽からして、今はまだ朝のようだ。ということは、丸一日近くあの地下牢にいたということになる。  自分の失態に再度舌打ちをしつつ、ぐるりとあたりを見回した。 「ここは…村か?」  明るい太陽に照らされていたのは、手入れが入らずに伸びきった草、引き抜かれ真っ二つに折られた柵、焼け落ちて無残に倒壊した家屋…。人の気配は皆無で、何年も前に滅んだ廃墟だということは明らかだった。  足もとに落ちている木の板を、何の気なしに拾う。砂にまみれたそれは、看板のようだった。 「ド…ザ…。『ドザ』か。村の名前か?」  その疑問に答えるかのように、風がまた一陣吹き抜ける。  乾いた風が、砂をどこまでも遠く、運んでいった。




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