ガイは、ぐるりと首を巡らせた。  金粉が輝きを放つ壁紙が四方を囲み、東に描かれた龍の壁画が歪んだ眼でこちらをねめつけている。  室内には見慣れない調度品が所狭しと並べられていた。他国からの流通も盛んなサイザリスは、都市全体が異国文化を匂わす風体をしている。その筆頭が、現在ガイが訪ねているこの屋敷の主人であった。  部屋の隅の棚に鎮座していた壺を手にとる。これでもかと宝石が散りばめられ、あまり品のよくない輝きを放っていた。  ヒョイと放り投げ、危なげなく受け止める。もし取り落として割ろうものなら、弁償金はガイの一生分の給金をつぎ込んでも間に合わないだろう。右手に収まった壺を一瞥して呟いた。 「…趣味悪ぃな」  今の俺ほどじゃねぇが、と胸中で添えつける。  卸立ての白いシャツに空色のスカーフタイを締め、獅子をかたどった銀色のピンで留めていた。その上に羽織った外套はいつも着用している護衛隊の制服であるが、普段のようにボタンを開け放し袖を捲るようなだらしない着方はしない。襟を立て、袖も伸ばして、皺一つ目立たないような着こなしをしていた。  右肩に金糸で施された帝国紋章と左胸に飾られた勲章たちが、誇らしげに燦然と輝いている。ほとんどがユアンが宿屋の一室で留守番をしながらせっせと磨き上げていたものだ。1つだけ、磨かれていないくすんだ鈍色の丸い勲章がある。一番質素にも関わらず、右胸の中心に掲げていた。  特別仕様の身嗜みは服装だけでなく、髪型にも表れていた。いつもなら無造作に後頭部でくくられている銀髪は、今はうなじで上品にまとめられている。まるで、夜空を流れる天の川のようだ。  今のガイは、どこから見ても貴族然とした立派な若者だった。  壷が置いてあった棚の隣では、小さな船の置物がふわふわと宙に浮いていた。怪奇現象でも何でもない。『飛石』の効力である。マルロ博士が民間用に技術を簡略してそれを提供した結果、こうして室内のお洒落なインテリアの一部として使用する貴族が激増したのだった。これだけ小さくて簡単な作りのものを浮かすだけならば、本来の飛石の力には遠く及ばない。しかし、もしマルロの万分の一でも才能のある者が簡略化された技術を元に必死に努力を重ねたならば…彼が飛石の力を引き出す光明を見出してもなんら不思議はない。  ドアが静かにノックされる。ガイは壷を棚に戻し、姿勢を正して相手を迎えた。  部屋に入ってきたのは、豊かな顎髭と脂肪を蓄えた壮年の男。膨らんだ腹を揺らし、悠然とガイのもとに歩み寄って右手を差し出した。ガイも、他の護衛隊員が見たら爆笑するか卒倒するかというほどの穏やかな笑みを浮かべ、その手を握り返した。 「貴重なお時間を割いていただき感謝いたします、マラクト侯爵。王族直属護衛隊長、ガイ・ゼクスです」 「お前が、あの悪名高い親衛隊の隊長か。クトルブルクの生き残りというからどんな猪かと思ったら、随分と優男だな」  これまた、他の者が聞いたら笑い転げて椅子から落ちるか絶叫して裸足で逃げ出すようなことを言う。  クトルブルク、という名にガイの眉がわずかに動いた。ゆっくりと、侯爵の汗ばんだ手を離す。付着した汗をすぐにでも服の裾で拭きたいのを何とか我慢した。  5年前、西のフォルク王国と帝国の間で戦があった。当時の一番の激戦区が、クトルブルクだった。軍の鼻つまみ者だったガイは最前線に投じられ、生還は不可能だろうと言われた一個師団を見事に指揮し、フォルク王国軍を撃退。今後の人生を左右するほどの軍功をあげて出世を遂げたのである。あわよくばそこでガイに散ってもらいたかった何人かの高官達にとっては、まさに予定外の勝利だったのである。 「遥か遠い帝都から、わざわざご苦労なことだな。護衛隊自らが出向くような案件がこのサイザリスにあるとは思えんが?」  尊大な態度でこちらを見下したような視線を向けてくる。貴族には、よくあることだ。当代皇帝の護衛隊は1人の例外を除いて皆庶民からの成り上がりだ、と血統を重んじる家柄の方々にはあまり評判がよろしくない。  この親父もその類か、と察したのか、ガイの笑みから穏やかさが消える。何か含みがあるような様子で、にやりと口の端を上げた。 「それはご自分の胸に聞いていただきましょうか。ご無礼を承知で本題に入らせていただきますが、そちらから何か王府に奏上したことがあるなら伺います。今のうちに吐けば、領地没収程度で勘弁してさしあげますよ」  あくまで口調は丁寧だ。 「ふん、やはり庶民あがりは口の聞き方を知らんようだな。もう1度初等課程の読み書きから出直したらどうだ」 「申し上げていることがご理解いただけていないようですな。『こっちは尻尾を掴んでいる』と言葉の裏に込めてみたんですが、どうも侯爵は行間を読む感覚が鈍っていらっしゃると見える」 「何を言っているのかわからんな。貿易は王府の支持通りの規定で行っている。今やサイザリスは帝国の玄関として盤石の体勢を築いた。成り上がりの護衛隊に付け込まれる覚えも、こちらが何か申し開きをせねばならん訳もない」  ガイの鷹のような双眸がきらめく。射抜かれるような視線を受けても、侯爵は動じた様子を眉塵も見せなかった。でっぷりとした体で、反り返るように立っている。ガイは胸中で肩をすくめた。 「何もないならいいのです。出すぎた真似をいたしました」 「わかればいいんだ」 「それでは、用件も済みましたので私はこれで失礼させていただきます」  侯爵の目がわずかに開かれる。普通、貴族ならこのまま食事だお茶だ世間話だとだらだらと過ごしていくのだろう。あいにく、庶民は忙しいんだ。馬の合わない相手といつまでも顔を突き合わせていたくない。頭をさげて、ガイは部屋を後にしようと侯爵の横をすれ違う。と、不意に右手で行く手をさえぎられた。 「…何か?」 「懐かしいものをつけているな」  そう言って、ガイの胸に輝く勲章に手をのばす。数ある磨き抜かれたそれの中かた侯爵が手を触れたのは、薄汚れた鈍色のメダルだった。 「『ドザの悲劇』だな。こんなものにも参加していたのか」 「まぁ、一応」 「懐かしい。私がここの土地を手に入れた、きっかけの惨劇だった。哀れだとは思うが、この村には感謝しているよ」  含み笑いを噛みしめるように、侯爵が呟く。ガイは失礼にならない程度に身を引き、一礼してさっさと部屋を後にした。



「あっ焼きイカ食いたい!」 「だめ」 「あぁーパッションフルーツみっけ!買っていい?」 「却下」 「うぉっ向こうで何かやってる!大道芸?すげぇ!ちょっと行ってくる」 「待った」  走り出した少年の襟首を、あわやというところで掴んで引き寄せる。突然首を引かれた少年はバランスを崩してたたらを踏んだ。こちらを振り向いて唇を尖らせる。 「何だよぉアロド」 「お前は犬か?もう少し落ち着きってものを覚えなよ」 「『落ち着き』な。よし、覚えた!じゃぁいってきます」 「屁理屈こくな」  再び脱走を試みた少年を、今度は引き戻すだけでは飽きたらず頭を軽く叩いた。どこかの誰かのように拳骨を落とさないだけ、自分はこの少年に優しいと自負している。しかし次逃げたら拳骨でまたその次逃げたら抜剣だな、と腰に下げたものに意識をやった。子供のお守りはやたら疲れる。この瞬間だけ、ガイをねぎらってもいいと思えた。  目の前でくるくるといろいろなものに興味をうつしている少年を見る。普段から落ち着き、とか品、とかにままったく無縁の無鉄砲能天気少年だが、今日はいつもよりも一段と気持ちがはしゃいでいるように見えた。  やはり、昨日の夜のあれだろうか。
 昨夜、町の若者達について酒場"キャンティス"に案内されたアロドは店内に入った瞬間「うげ」と声を漏らした。  割れた酒瓶、飛び散る液体、机や椅子はところどころ壊されひっくり返され見るも無残な体裁になっている。そんな中、奥の方にまだ無事なところがあった。そこを見てアロドは顔をしかめたのである。  お互い競うように酒を煽っている老人と若者の組み合わせ。若い男の方に、アロドは嫌というほど見覚えがあった。なんでコイツがサイザリスにいるんだよ。 『なに、やってんの』  とりあえず近づいてそれを言うのが精いっぱいである。ぐびぐびと豪快に酒を流し込んでいた男は、軽く右手をあげてこう言った。 『おうアロド、お前もこの爺さんツブすの手伝えや』  もう、絶句である。有無を言わせず卓につかされ、2人の酔っ払いにしこたま飲まされた。その時である。老人がアカデミー卒の先輩で、しかも11年前まではこのサイザイリスの近くにある「ドザ」という小さな村に暮らしていたと知ったのは。  深夜もとうに過ぎたころ、宣言通りガイにツブされた老人は自力で歩けないほど泥酔していた。仕方ないので、ガイとユアンが泊まっている宿に連れて行くことになったのである。2人がかりで老人の腕を引き上げ、宿屋の階段をあがった。若い頃に鍛えていた老人の体は案外重い。両腕のふさがった状態で部屋の前に来ると、ガイはブーツでドアを蹴りだした。返事はない。舌打ちをして、もう1発。それを何回か繰り返すと、ドアがゆっくりと開いて寝ぼけ眼のユアンが顔を出した。  そして、昔同じ村で暮らしていた少年と老人の再会の運びとなったのである。
「あ、コルの実だ!」  弾んだようなユアンの声で、我に返った。またもや品物につられて露店にふらふらと歩み寄っている。途中でハッと気づいたのか、ちらりとこちらの顔色を確認してきた。  普段から元気が有り余りすぎて周囲に迷惑を及ぼす少年の性格からして、同郷の老人との再会では喜んではしゃいで大騒ぎするものだと思っていた。  しかし実際、少年はただ涙を流して静かに老人を抱きしめていた。押し殺しても漏れ出ていた嗚咽が、まだ耳に残っている。老人も黙って少年の背中に手を回し、なだめるようにあやしていた。 「アーロードッ」  勝手に行くと怒られることを学んだらしい。アロドより頭一つ分近く背の低いところから、機嫌を窺うかのように見上げてくる。 「コルの実、知ってる?」 「いや」 「あそこにある、でっかいヤツ。あれさ、母さんが包丁で思いきり叩き割るんだよね」  実を割る様を表現したのだろう。左掌に手刀を叩きつける。 「真っ二つにしたのを、中身くり抜いて食うんだ。うまいよ」 「へぇ」  11年前の遠征に、アロドは参加していなかった。ガイと、当時まだ軍属だったフェルロンが突然連れ帰ってきたやせ細った小さな少年。まるでこの世の終わりのような、死人のような目をしていたのを覚えている。  楽しかった思い出と消し去りたいほど辛い過去が混在するふるさとに戻ってきて、少年は今何を思っているのだろう。  アロドはズボンのポケットを探った。何枚か小銭が出てくる。少々顔を綻ばせた。 「いいよ、買ってあげる」 「うぇっ!?ま、まじで!?ウソ、アロドがこんなに俺に甘いなんて…飴でも降るんじゃ、なんつってー」  露店に足を踏み出しかけていたアロドは、この上なく嫌な顔をして小銭をポケットに戻した。 「やっぱやめた」 「ええぇー!!ウソウソウソ!もうくだらねぇジョーク言わないから!」  本気にしたらしい。きゃんきゃん喚いてまとわりついてきた。その様がまるで子犬のようで、アロドは思わず噴き出す。腹を抱えて、往来の真ん中で笑い出した。




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