時刻はその日の朝にさかのぼる。 サイザリスは異国との交流には欠かせない商業都市だ。利益ある貿易を求めて、諸外国からの商人達が多数国境を越えて町へ入ってくる。 その時に多く使用される交通手段が、列車だ。 ウエスト区にそびえる、町で唯一のステーション。そのプラットホームに大型列車「ラビットフット号」は到着する。毎朝とぎれることなく、多くの人間を乗せて。 早朝の活気で雑多するホームに颯爽と降り立った、1人の青年。茶色い皮で包まれた大きめのトランクを放り出すように足元に置いた。こざっぱりとセットされた黒髪を掻きあげ、きらきらと輝く目で人混みを見まわした。爽やかな端正な顔立ちで襟シャツを着こなす姿はどこぞの商家の御曹司を思わせる。しかし彼の降りてきたのが最も劣等な第4車両だったことと腰にさげられた長剣が、彼が決してただの商人でないことを示していた。 うごめく数多の頭の中に想い人の姿を認めると、青年は黒いコートをつかんだまま腕を振った。コートの背中に施された紅い髑髏を象った刺繍が、力強く揺れる。 「ミリアリア、こっちだよ!」 名前を呼ばれた少女は顔を上げ、数拍首をめぐらせてからこちらを見る。後頭部で括った明るい栗色の髪が揺れた。人混みを掻きわけて進んでくる姿に、あぁそんなに早く俺のもとへ来たいんだね、と胸を高鳴らせるが、少女の顔に浮かぶ表情はどう見ても怒り、としか言いようがなかった。 青年は周りの迷惑を考えず、大きく両手を広げる。 「ミリアリア〜!2日と13時間36分ぶり!さみしかった!会いたかった!君と再会できてこんなに嬉しいことはないよ!さ、俺の胸においで、抱きしめてあげるから!」 「うっさいわねこの突発馬鹿公害男!人が寝てる間に勝手に予定違いの列車に放り込む奴の抱擁なんか死んでもお断りよ!のしつけてそのへんのオカマにでもくれてやるわ!」 青年のもとまで進んできたミリアリアは数日ぶりの挨拶を完璧に通過して、鋭い眼差しで下から睨みあげてくる。その動作にさえ愛しさがこみあげつつ、青年は少し困ったように微笑んだ。 「でも起きてたらミリアリア反対したでしょ?」 「当たり前よ!まっすぐ帝都に帰る予定だったんだから、このばかばかアロド!あああもう何で起きなかったんだろ、信じらんない」 「うん、だって食事に一服盛ったからね」 「やっぱりかぁぁぁぁ!?」 ふりあげられたミリアリアの拳を、アロドと呼ばれた青年はからからと笑いながら余裕の動きで受け止める。一連のやりとりを見る限り、どうやら日常茶飯事であるらしい。 受け止めたミリアリアの手に軽く口づけをして、アロドはその整った顔に極上の笑みを浮かべた。 「いつも頑張ってるミリアリアに俺からのささやかなプレゼントだよ。異国観光気分を味わってみたいって、前から言ってたじゃない」 「だからって、いきなり起きたら知らない座席の上だし周りは知らない紳士淑女ばっかりだし、そんな状況に放り込むのってどーなのよ!?」 「予約したのが急だったから、別々の車両しかとれなかったんだよ〜。ごめんね?ミリアリアだけは何とか第2車両にさせたから、居心地は悪くなかったと思うんだけど」 「えーもう快適でしたわよ。夜にはレモネードと毛布がつくし朝には食堂車でビュッフェもいただきました!あぁもう、あたしが怒ってんのは違うの!仕事が終わったんだからまずは帝都に帰って報告するべきでしょって言ってんの!」 「報告ってあの馬鹿でかくて気のきかない猿に?いいんだよそんなの後でさ。それよりほら、町を見て回ろうよ。朝にはたくさん市が立つって聞いたよ。珍しい雑貨とか食べ物があるかも」 市、と聞いて、それまで強気な態度を見せていたミリアリアが一瞬怯む。女の子だ。かわいい物には興味があるし、おいしい物は食べてみたいし、噂の異国情緒溢れる町を観光だってしてみたいのだ。普段は自制心でそれを抑えこんでいるだけで。 そんな彼女の心中を見透かしているかのように、アロドはさらにたたみかける。 「今帝都にはレイ達がいるはずだから、ロンの護衛は心配いらないよ。今回の仕事の報告だって、異常ありませんでした、でしょ?そんなの数日遅れたって問題ないさ」 「でも…」 「それに、もうサイザリスまで来ちゃったしね。帝都行きの列車は一番早くても明日出発だよ。それまでいろいろ見て回りたいと思わない?」 「う…す、すぐ、ちょっとだけ観光したらすぐ帰るんだからね!」 「おおせのままに、姫様」 「姫禁止」 「はい、ミリアリア」 くすくすと笑って、右手をミリアリアに差し出す。手はつながない、という意味を込めてその手を叩き返され、残念そうにちぇーと漏らした。地面に放り出してあったトランクの取っ手をつかみ、肩に担ぐようにして持ち上げる。 「ね、アロド。果物って帝都に帰るまでもつかな」 「うーん、冷やせば平気なんじゃない?ロンなら腐ったもの食べさせたってピンピンしてると思うけどね。そういえば、この列車の名前の意味、知ってる?」 「知らない」 「『ウサギの足』だってさ。おかしくない?国境を越える巨大列車なのにかわいくない?ウサギとか言って健気じゃない?ミリアリアみたいだと思わない?」 「思わない」 「あら、残念」 珍妙とも言えるような他愛のない会話を続けながら、二人はステーションの出口を目指す。アロドが無理やりねじ込んだこれから始まるしばしの小休止に、二人共期待を膨らませていた。 二人は知らない。 アロドに馬鹿ででかくて気のきかない猿となじられた帝国軍人が、反対のイースト区で銀髪を揺らしてくしゃみを漏らしていたことを。
同日同時刻。サイザリスから徒歩で3日ほど離れた街道沿いの草原に、レイとナナキは立っていた。傍では寄り添うようにして2機の小型飛行艇が地面に影を落としている。 ナナキはその夕焼け色の髪を揺らして溜息をつき、目の前にそびえる障害物を見上げた。朝日を受けて輝くその障害物とは、木の集合体だった。 「えーと…これ、森だよな」 「そうじゃな」 「あいつら森に墜ちたってことだよな」 「そうじゃな」 「あーじゃぁ森の中まであいつらの飛行艇取りに行けってことね」 「そうじゃな」 「こっから先は飛行艇じゃ行けないから徒歩で行って徒歩で戻って来いってことかな」 「そうじゃな」 「っておいおいおいまじかよ。取りに行ってどーすんの、ここまで引っ張ってこいってか?素手で?何であいつらもっと回収しやすい所に墜ちないわけ。いじめですか」 「そうじゃな」 「…あんた話聞いてねーだろ」 ナナキは半眼でレイをねめつける。相棒からの痛い視線も受け流し、レイは足元を見つめたまま思案顔だ。視線をあげて森に目を向け、空を見て、再び下に視線を戻す。無骨な男の足の周りには、真白で小さい可憐な花が、所々に咲いていた。 「…いい」 「は?」 どことなく恍惚とした表情で呟き、レイは懐を探り出した。取り出したのは、小さな革製手帳。レイは花を踏みつぶさないように気を配りながらその場にどっかりと腰を降ろす。手帳のバンドに刺しておいたペンを取り出して、くるりと一回転させた。 「ちょ、あんた何やってんの」 「見ろナナキ。絶対かつ強大な力を象徴するかの如く森林が立ちはだかりそれを甘受するかのように澄みきった青空。地平の果てまでも広がる巨大な空に小さな花達は羨望の眼差しを向ける。自分達はなんて矮小なのかと…まさに強者と弱者の対立」 「あー、で?」 「美しい。わしは今打ち震えるような感動を覚えた。今日この時この場所でこの風景を言葉という形而上のオブラートに包む使命が、わしに課せられた」 「うん、それで?」 普段無口な彼が異常なまでに饒舌だ。これはアレの合図なのか。ほぼ確定された予感を脳内で描きながら、ナナキは嫌々先をうながした。 「お前ちょっと行ってガイ達の飛行艇の様子を見てきてくれんか。どうせこっちもわしらのを置いて行くわけにもいかんじゃろ。役割分担じゃ」 「どー考えても俺が損してるよな?」 「苦労を買わせてやろうっちゅぅとるんじゃ。あぁ、思いついた。『たとえるならば、女を包む男の如く』…」 ダメだ。完全詩人モードだ。悪い予感は的中だ。 ナナキは再び溜息をついた。今日何回目か知れない。彼が普段は尊敬してやまないパートナーはすっかり自分の世界の殻の中だ。こうなると納得するものができるまで現実には帰ってこないだろう。これがガイやアロドだったら意地でもレイを引きずり戻すだろうが、ナナキは諦めることを知っていた。 自らの飛行艇のコクピットから、剣とコートを取り出す。気候は汗がにじむくらいの暑さだが、念のためだ。それにこの剣を抜くようなことがあれば、それは護衛隊の仕事になる。隊の制服であるコートは必需品だ。 「じゃぁ俺行ってくるから。ちゃんと見といてくれよ」 「おう」 「見つけても持ってはこないからな。無理だからな。あとでちゃんと手伝えよ」 「おう、行ってこい」 深い森林へと踏み込んでいく相方の背を見送るでもなく、ペンを持った片手だけを軽くあげる。 ナナキはコートを身に纏い、少々小走りで森の奥へと姿を消した。
これから起こる事件が収束するまで、2人が再会することは、ない。
レイの視界は真っ黒だった。自ら塞いだ暗闇だ。闇の中で風の動きを、音を、色を感じ、先ほど目に焼き付けた光景をもう一度自らの中で再構築していく。これが、彼の人生において最も充実する時間だった。 その中で、ナナキの気配が完全に遠ざかったことを察知する。ゆっくりと瞼を開いた。 (…3人か)< 風に混ざり、痛いほどの殺意が突き刺さる。手帳を閉じて懐に収めた。 そのまま悠然とした足取りで飛行艇に近づく。気配が動いた。地面を蹴ってカバーが開いたままのコクピットに飛び込む。同時に一瞬前まで立っていた場所に小さな穴が開いた。 「せっかちな奴らじゃのぉ」 シートの横に放り出しておいた剣とコートを手に取った。先日妻が洗濯してくれたばかりのコートは、穴も汚れも修繕されて綺麗になっている。 いつの間にか、3人の黒服の男達が2艇を囲むように立っていた。それぞれライフルを構え、今その照準はピタリとレイに定められている。 そんな状況にも関わらず、詩人はのんびりと口を開いた。 「賢き故人はかく語りき…気をつけろ、黒い男とライフル銃」 撃ってみろ、と言わんばかりに、シートの上に仁王立ちして両腕を広げる。複数の銃声が響く、と同時にレイの右腕がぶるんと振るわれた。金属音の後、ぱらぱらと薬莢が土に落ちる。 「賢き故人はかくも語りき…案ずるな、自己防衛は罰さない」 誰にともなく、むしろ己に言い聞かすように呟いて、レイは剣を構えた。「パルスを使わせるな!」と黒服の1人が叫んでいるが、もう遅い。 「さぁ楽しく踊れ、『ルーシア』」 瞬間、まばゆいまでの閃光が一帯を包み… 地面をも揺さぶる衝撃は、遠く遠くの小さな村まで届いていった。
その村の名を、「ドザ」という。
剣にこびりついた血を丁寧に拭き取った。紙クズは丸めてコクピットへ投げ入れる。ナイスシュート。 おびただしい量の血を流して地に伏す男達を一瞥し、憐れむような目線を向ける。 「サイザリスのお偉いのに雇われたんじゃろが、まんまとハメられたのぉお前ら」 「おそらくうちの隊長の策略じゃ」 「あいつが燃料補給なんて基礎的なモンを忘れるはずないじゃろが」 ぶつぶつと呟きながら、頭では3つの死体の処理に迷っていた。まさか、転がしておくわけにもいかない。後で森にでも運んでおこうか。 ふと、足元に目を落とす。透きとおるような真白だった花達は、赤黒い液体で汚れていた。地面にゆっくりと膝をつく。ゴツゴツした指で、花びらを優しく撫でた。 「かわいそうにのぅ、すまんな」 気にするな、と花が返事を返すかのように、風が柔らかく雲を運ぶ。 膝を折ったまま、レイはしばらく動かなかった。
染まった花と同じ色で象られた髑髏の刺繍が、その背で揺れていた。
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